【動画インタビュー】気になる!あの映画の“ウラ話” by.映画パーソナリティ 伊藤さとり
Vol.31 『白鍵と黒鍵の間に』池松壮亮 「今はいくらでも“嘘”をつけるけれど、自分で演奏できる高揚感は全然違う」
第31回
伊藤さとり、池松壮亮
映画パーソナリティ・伊藤さとりのYouTube番組「新・伊藤さとりと映画な仲間たち」。
新作映画の紹介や、完成イベントの模様を交えながら、仲良しの映画人とゆる~い雰囲気の中でトークを繰り広げます。他ではなかなか聞き出せない、俳優・監督たちの本音とは?
今回は現在公開中の映画『白鍵と黒鍵の間に』から主演を務めた池松壮亮さんが登場! 本作の魅力や撮影エピソード、池松さんがおススメする映画についてなど、たっぷりとお話いただきました。
映画人たちの貴重な素顔をご堪能ください。
池松壮亮がふたりのピアニストを演じ分ける冨永昌敬監督最新作

本作の原作は、南博の『白鍵と黒鍵の間に-ジャズピアニスト・エレジー銀座編-』。ピアニストとしてキャバレーや高級クラブを渡り歩いた3年間の青春の日々を綴った回想録だが、共同脚本を手がけた冨永昌敬監督と高橋知由が一夜の物語に大胆にアレンジし、主演に池松壮亮を迎え映画化。昭和末期、夜の街・銀座を舞台にふたりのピアニストの運命が大きく狂い出す一夜を描く。
南博がモデルの主人公を「南」と「博」というふたりの人物に分けて描いた本作。南は才能にあふれているが、夜の世界のしがらみに囚われて夢を見失ってしまったピアニスト。博は希望に満ち、ジャズマンになりたいという夢に向かって邁進する若きロマンチスト。南と博は、時にすれ違い、時にシンクロするカードの裏表のような関係で、池松が繊細に演じ分けてみせた。そのほか仲里依紗、森田剛、クリスタル・ケイ、松丸契らが脇を固める。
池松は、本作でピアニスト役を演じるにあたり、ピアノ演奏を半年かけて猛特訓。劇中で披露される、池松本人による演奏「ゴッドファーザー 愛のテーマ」も見逃せない。

昭和63年の年の瀬。夜の街・銀座では、ジャズピアニスト志望の博が場末のキャバレーでピアノを弾いていた。博はふらりと現れた謎の男にリクエストされて、“あの曲”こと「ゴッドファーザー 愛のテーマ」を演奏するが、その曲が大きな災いを招くとは知る由もなかった。
“あの曲”をリクエストしていいのは銀座界隈を牛耳る熊野会長だけ、演奏を許されているのも会長お気に入りの敏腕ピアニスト、南だけだった。夢を追う博と夢を見失った南。ふたりの運命はもつれ合い、先輩ピアニストの千香子、銀座のクラブバンドを仕切るバンマス・三木、アメリカ人のジャズ・シンガー、リサらを巻き込みながら、予測不可能な“一夜”を迎えることに……。
「冨永監督とはすごく価値観があったんじゃないかな」
── やばいくらいこの映画、大好きでした。
池松壮亮(以下、池松) 嬉しい。
── 池松壮亮さんのめっちゃ代表作。めっちゃがつくくらい好きでしたよ。自分ではどうだったんですか?
池松 僕はものすごく気に入ってるんですよ。
── 私だって観終わった瞬間、最高最高最高ってずっと思ってました。
池松 いいですよね。
── 冨永監督と池松壮亮さんは今までやってるという思い込みがあって。なんだろう? その画のセンスにハマるから……と思って調べたら初めてだったんですね。
池松 初めてでしたね。
── それでもなんか運命で出会ったみたいですね。今まで出会えなかったからか。
池松 大学の先生が一緒なんですよ。初めて僕が大学在学中に冨永さんの作品がいかに好きかみたいなことをその先生に話してたら「お前分かったからもう一回ちょっと今電話しろっ」て言われて「電話するから変われ」って言われて、「絶対嫌だ」って言ったらもう本当に電話してて。で、そこで「あの、初めまして池松壮亮と申します。いつも拝見してます。なんかいつかご一緒できたらなと思ってます」みたいに言って。それが初めての会話でしたね。
── どの作品が特に好きだったんですか?
池松 いやーもう……。在学中だったので、たぶんですけど『ローリング』を在学中に観たんじゃないかな。その他の作品も後追いでたくさんというか全部観ましたし。それぐらいの頃だったと思います。

── 冨永監督と池松さんがなんで相性がいいのかってこの映画で確信したんですけど、ちょっとスモーキーな匂いを作り上げるのうまいじゃないですか、冨永監督って。それでいてそれぞれのキャラクターをこの人しかできませんみたいな役付けをするじゃないですか。
池松 ねぇ、見事ですよね。
── ここで高橋和也さんがギターで出てきて、川瀬陽太さんが出てきたじゃないですか。この人たち、ガチギターやれる人たちだから……。
池松 かっこよかったですね。やっぱりね。
── 私も本当に嫌なやつだから、ピアノのシーンでこうカメラのパン見ちゃうんですよね。
池松 そりゃみんな見ますよ(笑)。
── ちゃんとやってるから泣きそうになっちゃって。もうやばい、もう素晴らしすぎると思って。
池松 家にピアノがあって、ちょっと触ったことあったんですよ。うちの姉と妹が習ってたりしてて。合唱コンクールで中学3年生の時に課題曲と自由曲があって、自由曲が決まったんだけど、課題曲を弾く人がいなくて。で、なんでか僕が弾くことになったんですよ。
── ピアノはそれまでやったことは?
池松 やったことないんですよ。
── なんでだろう?
池松 なんか、多分家にあるからっていうことだったと思うんですけど、それか突然自分でやるって言ったのか。それで三ヶ月ぐらい練習して、「大地讃頌」弾いたんですけど、それぐらいでした。
── すごすぎる。私、今、ピアノが家にあるんですよ。娘に習わせてるから。でも昔、どうしてもピアノが欲しくって言ったら、うちの親が「うちはお金がないから」って言って、人からオルガンをもらってきてくれたんだけど、手の別々の動きが全然できなかったんです。なんでそれができるんですか?
池松 いやいやいやいやいや、伸びなかったですよ(笑)。
── しかも大好きな私のゴッドファーザーの愛のテーマを弾いてるんですよ。
池松 なんで弾くとか言っちゃったんだろうって思いながら、半年間ずっと特訓とかしたんですけど(笑)。
── でも、その「弾く」って言ったのは、やっぱり自分の中にこだわりがあったんですよね?
池松 もちろんそうですよね。例えば、冨永さんが「ピアニストの映画やるんだけど、池松君は弾かなくていいから」って言われたとしたら、多分断ってましたね。なんていうんでしょう、そういうのって。別に冨永さんがどうしても弾いてくれって言ったわけではないけれども。
この映画をやる上で、何もやっていないってね。今、いくらでも“嘘”をつけますから。いくらでも“嘘”のつきようはあるんだけれども、やっぱりいかにそのトリックを見せるのかも映画だけれど、そうじゃない人間の生身が音を出しているっていうことの映画的なパワーというか。それは観た人が分からなくても絶対そういうものだと信じてやってるので。そのゴットファーザーは完成させようと思っていました。

── この間、佐藤浩市さんが言ってたんですよ。俺の若い時はさ、いくらでも嘘つけて。ボクシングの役もボクシングやらなくて済むんだけど、今の若い俳優たちはみんな本物をやらなきゃいけなくなってるのがすごいって言ってて。あ、それはなんでそうなったんだろうってふと思ってて、これ見たらいた! って気付いたんですよね。
池松 逆にだからその本物に飢えてるんじゃないですか。ボクシングとかは、特に。俳優って何を目指せばいいのかわからないところがあるし、こういう分かりやすく何かを会得することができる時は、まだあの楽な方で。その漠然としたところに向かっている中で、その肉体的接触がある、疲労がある、痛みがあるっていうことをむしろ若い子は求めてるんだと思いますけど。
── これから役者の人たちはどこまで進んでいくんだろうってふと思っちゃいますよ。
池松 だってこれだって本当は弾ける人がやった方が面白いですからね。本当は(笑)。

── なんだろうな。私、ライアン・ゴズリングが好きなんですよ。あの人『ラ・ラ・ランド』もそうだけど、弾くでしょ。
池松 弾いてますよねー。あんなに弾かないでくれって思うぐらい弾きますよね。
── でも、(池松さんも)弾いてますよね。なんだろう、その演技ができて演奏ができる喜びを知った瞬間のこの観客の“ないものねだり”? どんどん悪化してくるんですよ(笑)。本当映画ファンって厄介だなって自分で思ったんですよ。
池松 でも、やっぱ自分でやれることの高揚感は全然違いますよね。現場にいても、やる方もそうだし、撮る方もそうだし。もちろんその先に観てる人たちもそうだし、いくらでも“嘘”をつけるけれども、そういうことはトライさせてもらえる作品でしたね。
── しかも、英語を喋る役なんですけど、すっごいあえてゆっくり喋るじゃないですか。あれはどこから生まれたんですか?
池松 修道士のような喋り方でとかって指摘されるんですよね。確か。すごい下手に喋ってくれって。英語のラジオを聞きながら、あれはやっぱり非常に冨永さんらしいというか、ユーモラスですよね。なんかものすごい映画は艶っぽいのにユーモラスでチャーミングでバカバカしくてその辺の豊かさ……。そういう意味ではやっぱり今回初めてなんとなく映画を観ながらきっと合うはずだって思ってたけど、すごく価値観があったんじゃないかなって。
── 冨永さんがあれを思いついたんですね。すごい好きだったんですよね。キャラクターがよく分かりやすく出る、説明なく出るやり方。
池松 面白かったですよね。

── 面白かった。だけどそもそも英語をもうすでに喋れる状態にしてますよね?
池松 喋れないですよ。
── いやだってトム・クルーズの時も裏で喋ってた記憶があります。
池松 喋ってました。でもあの、もう単語だけですよ。ちゃんとは喋れないです。
── 私とは全然喋れる程度が違いますよ。だから観ながら反省しました。私は逃げてる、英語の仕事をしてんのにってすごい反省して。しかも、ストーリーの構成からしてちょっと鳥肌が立ちました。脚本を読んだ時どう思ったんですか?
池松 いやー面白い試みだな。なかなかぱっと思いつかなかったです。こんなのあったっけと思いましたし、面白いこと考えるなと思いましたし、なんかこう漠然としてやっぱり賞賛があったんですよね。ああすることによって結局、あれはその映画的なトリックで何が浮かび上がってくるのかって。
僕が思ったのはああすることによって、やっぱその人生というものを、もう少し断片的な一夜にまとめて、それぞれのターンを見ることでその人のキャラクターよりも、より俯瞰した人生そのものが浮かび上がってくるような映画になったらいいなと思ったし、そうなるんじゃないかなっていう漠然とした期待がありましたね。
── だって長期間の撮影じゃないじゃないですか。でも、その人の人生を二時間で演じるわけですよね。めっちゃ池松壮亮さんの頭の中はどうなってんだろうと思いました。
また、動画では池松さんの演技をする上での醍醐味や最近のお気に入り映画などについても語って頂きました。ぜひあわせてご覧ください。
『白鍵と黒鍵の間に』
公開中
(C)2023 南博/小学館/「白鍵と黒鍵の間に」製作委員会
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