アスリートの美学
車いすテニス・小田凱人が金メダルの先に見据える実現困難な目標
第2回

小田凱人にメンタルが強いという自覚はない。むしろ、精神面で脆さすらあると認識しているという。
9歳で骨肉腫に襲われ、9か月にも及ぶ入院生活の末、左足の自由を奪われても、「このタイミングで車いすテニスに出合えたので逆に良かった」と思えるメンタリティの持ち主である。11歳でがんが再発し肺への転移が発覚しても、車いすテニスに悪影響を及ぼすという理由で入院を拒否、3か月にわたる過酷な抗がん剤治療と競技生活の両立を自ら決断してやり遂げた信念の人でもある。その後13歳の時にも再手術を余儀なくされたが、17歳で史上最年少となるグランドスラム初優勝、そして世界ランキング1位まで駆け上がった有言実行の人物は、メンタルが強くないと自己分析する。
「強いなんて、思ったことはないです。メンタルに関しては持論があって、僕は強い弱いではなく、“うまいへた”だと思っていて。僕の感覚では、うまく対処しているという感じです。うまいとは思っているが、強いとは思っていないと言うか……。うまくいかなくてダメだと思うことはあるし、焦ることもあるし、『病気になってどうしよう』という気持ちはありました。ここまで一回も心が折れずに自分に打ち勝って壁を乗り越えてきたのではなく、うまく逃れてきた。見て見ぬ振りもして、うまく対処してきた。スキルみたいなものだと思っています。フィジカルではなくテクニックであり、スキル。メンタルはそういうものだと思っている。『それがメンタルが強いことじゃん』と言われれば、何も言えないですけど、僕は強くないし、そのスキル的なことを覚えればどんどんうまくなっていると思っています」

完治の見通しは2030年4月だという。がんと向き合い、戦い、付き合ってきた18歳の世界ランキング1位は、闘病生活においてメンタルの強さは何の意味も持たないと続けた。
「再発したら、メンタルが強かろうが弱かろうが、結局抗がん剤の治療をしないといけない。極論メンタルは関係ないと思っている。だからそこで強さよりもうまさがいると思っていて。いくら強くても、再発したがんが次の日の朝に起きたら治っていることはない。そう思ってかわすうまさ、スキル、自分をコントロールするスキルはあります。どうしよもないものからうまく逃げているという感覚です」
きつい反復練習は「勝者に選ばれる」ため

メンタルで一家言がある小田は、練習へのアプローチ法も独特である。
「嫌いなものを好きになろうとしがちですが、僕は嫌いなものは嫌いなものとして必要だと思っています。メンタルを強くして、きつい練習を無理やり好きになるのではなく、嫌いな練習は嫌いな練習であるべき。それが崩れたら意味がないと思います。だからこそ、やることに意味がある。根本は自分の好きな車いすテニスをやっているということはありつつ、結局全部好きなことだけやるのではなく、自分の欲望に反することがないとだめだという考えです」
きつい反復練習や自分を律した生活は、勝つためである。小田特有の言い回しだと「勝者に選ばれる」ためとなる。
「1・2回戦は自分の力で何とかなる感じ。グランドスラムの準決勝・決勝という大きな舞台になってくると、自分の力だけではない、選ばれる感覚があります。優勝者になるのではなく、優勝者にさせてもらうと言うか。優勝者に選ばれるには、人よりもつらいことを経験したり、誰よりも練習したりしないと選ばれないと思っていて。それが自分の嫌いな基礎練習や食事制限をやらないといけない理由だと僕は思っています。正直、食事制限しようがしまいが、体重が200~300グラム多いとか前日にデザート食べ過ぎたとかくらいで試合に負けたりはしないと思いますし、ぶっちゃけ僕の感覚では関係ない。大事なのはそれをやり続けてきたという目に見えない力。誰かにというわけではなく、ずっと見られていると思うので。なぜやり続けるのか、なぜ耐えられるのかという疑問に対する答えは、『選ばれるためにやる』というのが最終的な僕の思考回路と言うか、そういう感じですね」
勝者に選ばれるためなら、「謎にがんばれる」と笑う。
「結局『努力しても報われない』と思うこともあるし、結局そこも選ばれるか選ばれないかだと思います。『自分はこんなに努力してきたのに何で?』と考えるのではなく、大きな舞台になればなるほど、そういう考えでいると謎にがんばれる(笑)。単純な基礎練習も反復練習も意味があると信じられるし、『意味があるんかな~』と思いながらもがんばれます。日頃の行いではないが、練習でさぼるかさぼらないか、ダラーっと練習していても、前日に調子が良ければ勝てちゃうこともあるけど、やっぱりそれでは限界がある。『ずっと1位でい続けたい』『グランドスラムで何回も勝ち続けたい』となると、練習内容も生活も気を付けないといけない」
自分はただ「強い相手と戦いたいんだな」と気付いた

史上最年少という名の付く記録はすべて塗り替えることを公言し、事実13歳8か月25日での『世界ジュニアマスターズ』優勝や14歳11か月18日での世界ジュニアランキング1位、16歳23日でのグランドスラム初出場、17歳1か月2日でのグランドスラム初優勝、17歳1か月4日での世界ランキング1位、18歳1か月でのグランドスラム連覇などあまたの史上最年少記録を大幅に更新してきた小田だが、グランドスラム初優勝を成し遂げた昨年の『全仏オープン』と、王者として連覇を達成した今年の『全仏』で心境の変化を感じていた。
「言い回しが悪くなっちゃうんですけど、試合の途中で『このゲーム、勝ったな』という瞬間があります。そう確信するタイミングが今回の『全仏』は早かった。今までは最後の最後までそう感じるポイントがきてなかったけど、試合の序盤の方で『勝ったな』というポイントがきちゃった。(グスタボ・フェルナンデスとの)決勝戦も最初の方(第1セットの第4ゲーム)の1回転してスマッシュを打った時にはそう感じていた。選手の中には圧倒して勝ちたいと思う人が多いだろうが、僕のやりたい試合は競っている試合。観ている人も『これはどっちが勝つんだろう』と思う試合。2-1、3-1、4-1となっていくと、『ああこっちの勝ちだな』と興味を失っちゃう。僕はなるべく試合中も客観的に自分の試合を観るようにしていて、僕が観客だったら『このまま勝つんじゃないか』と思うだろうなという瞬間がある。そうすると、もっと強い相手とやりたいという気持ちが出てくると言うか、グワっとくる試合がしたいと言うか……。僕は別に『1位になりたい』とか、『グランドスラムのトロフィーがほしい』というわけではなく、『戦いたいんだな』と最近気付いたんです。『1位になる』とか、『パラリンピックで金メダル取る』って言ってきましたが、『そこじゃないんじゃないか』と感じる。自分はただ『強い相手と戦いたいんだな』と気付いた。最近は優勝するしないではなくて、どの試合でもそういう熱い試合をしたいなと思うようになりました」
理想を具現化したゲームがある。2022年10月8日・有明コロシアムで行われた国枝慎吾との『楽天ジャパンオープンテニスチャンピオンシップス2022』決勝である。男子世界歴代最多となるグランドスラム優勝50回とパラリンピック金メダル4つを誇る38歳のレジェンドと、この年からグランドスラムデビューを果たすと一気に5位までランキングを上げてきた16歳の新鋭は車いすテニス史上に残る屈指の好ゲームを披露。2時間27分の激闘の末、国枝が6-3、2-6、7-6 (7-3)で2019年大会に次ぐ2度目の優勝を手繰り寄せたのだった。
「理想の試合でしたね。勝ち負けはもちろん勝ちたいっちゃ勝ちたいですけど、ああいう試合はやっていて楽しい。相手が諦めて怒り出したらこっちもやっていて楽しくないし、もっと正々堂々打ち合って、こっちに流れがあっても相手に巻き返されて流れが向こうにいって、さらに僕も、という試合の方がやっていて楽しい」

9歳の小田少年が『ロンドンパラリンピック』で連覇を達成する国枝の動画を見て、車いすテニスに興味を持ったのは有名な話である。小田にとって、国枝は憧れの存在であり、越えなければならない高く分厚い壁であった。しかし、『楽天ジャパンオープン』の次の対戦、5度目の対戦は実現しなかった。国枝は2023年1月に世界ランキング1位のまま現役引退を発表。4戦4敗、国枝に勝ち逃げされたという思いはなかったのだろうか。
「それはないですね。むしろ勝てなくて良かったなと思っているくらいです。勝っていたら、自分の中で満足しちゃっていたと思います。その時はもちろん勝ちにいきましたけど、最近になってそう思いますね。あれだけ影響された人に勝っちゃうと、やっぱり何かを見失ってしまうと思う」
「負けて良かった」と振り返る小田を見て、ギラギラした闘争心を失ったと決め付けるのは早計である。小田は闘争心もモチベーションも勝利への執念も、微塵も失ってはいない。若いトップアスリートらしい健全な強欲さも兼ね備えている。
「どうせ1位になるなら一番早くなりたいし、グランドスラム最年少優勝なら凱人なので凱旋門のある『全仏』でしょ、と全部つながっている。それに合わせてスケジュールを組んできました」
勝負の世界では王座を獲得するよりも、王座を守り続ける方が難しいと言われているが、包囲網が敷かれた今年6月の『全仏』で小田は1セットも落とさずに連覇を達成した。
「僕の試合は結構ビデオ解析とかされているけど、関係ない。逆に僕は対戦相手の動画を見ることがほとんどない。データで数字的にテニスをするタイプではないので、毎回毎回自分を超えていかないといけない。相手の持っているデータを常に新しくしていくことを大事にしています」
ローラン・ギャロスには忘れ物がある。昨年の『全仏』決勝の舞台はセンターコート「フィリップ・シャトリエ」だったが、今年は14番コートだった。
「『マジかよ』ってなりました。いろんなことを思ったけど、僕の中で今回の『全仏』は『パラリンピック』のリハーサルだったので、『パラリンピック』はセンターコートでやりたい。見せたいのは競る試合。僕は面白い試合をしたいので、プロとして魅せるためだけではなく、自己満足としても競る試合をしたい。せっかく『パラリンピック』の決勝にいったら、すごい試合をしたい。相手? アルフィー・ヒューエットがいいです。今だと一番いい試合ができるのはアルフィー」
小田は相手を圧倒するパワフルなショットと積極的に前へ出るテニスで7月7日(日)にスタートする『ウィンブルドン選手権』連覇を達成した後、8月28日(水)に開会式を迎える『パリパラリンピック』で金メダルを掲げる青写真を描いている。
「『ウィンブルドン』で負けるとランキングは2位になるので、それは避けたいです。2位で金メダルと言っても説得力がないじゃないですか。やっぱり1位で金メダルじゃないと」
小田凱人が追い続ける実現困難な目標

さまざまな史上最年少記録を更新し続ける小田は実現困難な目標を追い続ける。
「『子どもたちのヒーローになりたい』『憧れられる選手になりたい』。なぜそういう目標を持つかと言ったら、ここまでいったら叶うという線引きがないからです。ある意味、絶対叶わない目標です。何人に憧れられたから目標達成という基準もないから、競技生活中は自分で追い求めていきたい。1位は一回なったら目標達成できちゃうが、具体的ではない目標をひとつ持つことでずっと現役を続けられると思う。満員のお客さんの前でプレーすることもまだ叶っていないので、叶えたい」
<Entertainment>
── 小田さんを支えるエンタメを教えてください。
「僕にとってのエンターテインメントですか? 自分じゃないですか。そう思います。
やっぱり作り話よりも自分のやってきたことの方が面白いと思う。架空じゃなくて、現実だから。僕は現実として自分の人生を選んできているという自負はあるので。主役も演じているし、観衆もやっているし、ディレクターもやっているし、監督もやっている。
傍から見て、『おっ!』と思われる人であり続けたいと思っているので。だから、自分ですかね」

凱旋 9歳で癌になった僕が17歳で世界一になるまでの話
著者 小田凱人
ジャンル 書籍
書店発売日 2024/06/21
ISBN 9784835646954
判型・ページ数 四六判・192ページ
定価 1,650円(本体 1,500円+税)
取材・文:碧山緒里摩(ぴあ)
撮影:杉 映貴子