若松孝二
TV映画の製作進行や助監督を経て、1963年に国映でデビュー。以後20余年に100本以上のピンク映画を作り、“ピンク映画の巨匠”と呼ばれる。1965年、若松プロを設立。1982年「水のないプール」が高く評価され、以後は一般映画を中心に監督。プロデューサーとしても手腕を発揮、大島渚の「愛のコリーダ」(1976)などを手がけている。
TV映画の製作進行や助監督を経て、1963年に国映でデビュー。以後20余年に100本以上のピンク映画を作り、“ピンク映画の巨匠”と呼ばれる。1965年、若松プロを設立。1982年「水のないプール」が高く評価され、以後は一般映画を中心に監督。プロデューサーとしても手腕を発揮、大島渚の「愛のコリーダ」(1976)などを手がけている。