伊丹十三

1960年、伊丹一三の芸名でデビュー、多くのTV、映画に出演。1963年には「北京の55日」、1965年には「ロード・ジム」と外国映画にも出演した。「日本春歌考」(1967)出演後、十三に改名。自ら脚本を書いて初監督した「お葬式」(1984)が大ヒット。監督のイメージが強くなったが、演技派俳優として得難い存在であった。父は、故・伊丹万作監督。妻は女優の宮本信子。1997年12月20日にビルから飛び降り自殺を図り、死去。