宇野重吉

1950年滝沢修らとともに劇団民芸を創立し、米倉斉加年、樫山文枝、日色ともゑらのスターを育てる。晩年は“宇野重吉一座”として全国を巡業した。映画出演も多く、特に新藤兼人監督との関係は深かった。