山下耕作

1952年、東映京都撮影所入社。1955年から助監督となる。監督昇進後は、股旅映画の傑作「関の彌太ッペ」(1963)を作り、1965年の「花と龍」以降“やくざ映画”の名手に。なかでも「博奕打ち・総長賭博」(1968)は、やくざ映画の最高峰。近年も“極道の妻たち”シリーズで手堅い演出を見せ、現場では“将軍”の愛称で親しまれていたが、1998年12月6日多臓器不全のため死去。「新・極道の妻たち 覚悟しいや」(1993)が最後の作品となった。