大島渚

1954年、松竹大船撮影所に助監督として入社。監督昇進後は、“松竹ヌーヴェル・ヴァーグ”の一人と評された。自身の学生運動を投影させた「日本の夜と霧」(1960)の上映打切り問題をきっかけに、松竹を退社。以後も一作ごとに話題を集める、意欲作を発表。「愛の亡霊」(1978)で、カンヌ映画祭監督賞を受賞。「愛のコリーダ」(1976)以降は、外国資本で製作を続けている。1996年、脳卒中で倒れるが、リハビリによって復活。13年ぶりに監督した「御法度」(1999)がブルーリボン賞作品賞、監督賞を受賞。