成瀬巳喜男

1920年、松竹蒲田撮影所の小道具係となり、のちに助監督に。監督昇進後、1932年ぐらいまで短編喜劇を撮る。「君と別れて」(1933)、「夜ごとの夢」(1933)で認められ、PCLに移って作った「妻よ薔薇のやうに」(1935)で評価された。戦後は「めし」(1951)に始まる、一連の林芙美子原作作品によって名匠と謳われた。世界的にも黒澤、小津、溝口とともに高く評価される。