稲垣浩

子供の頃から俳優として舞台に立ち、日活向島撮影所の俳優となるが、助監督に転身。監督になってからは、明朗時代劇とも言われた、独特の明るさを持つ作品を連発。また、山中貞雄らとのシナリオチーム“鳴滝組”の一員としても活躍した。現代劇でも、「無法松の一生」(1943)などの秀作を作っている。