須川栄三

1950年、東宝撮影所に入社。成瀬巳喜男の助監督などを経て、監督へ。監督第2作「野獣死すべし」(1959)が、日本離れしたハードボイルド映画として評価を得た。1998年10月2日、心不全のため死去。