志村喬

大阪大学卒業後、大阪市役所に勤務。アマチュア演劇に力を入れすぎたためにクビになり、1930年、プロの役者となる。いくつかの劇団を渡り歩いたのち、1934年新興キネマに入社。渋い脇役としての時代が続くが、1948年「酔いどれ天使」の熱演で一躍注目を浴びる。1952年「生きる」でその人気を決定的なものにした。