1933年、PCL入社。黒澤明とともに山本嘉次郎の助監督を務め、黒澤との共同脚本作で監督デビュー。第2作「ジャコ万と鉄」(1949)、第3作「暁の脱走」(1950)と力作を発表。しかし、その後は今ひとつふるわない。夫人は女優の八千草薫。