1947年に新東宝に入り、1955年に日活へ。1957年には、「勝利者」「鷲と鷹」「嵐を呼ぶ男」と、石原裕次郎を一躍スターへと押し上げたヒット作を監督。その後も“日活アクション”映画の担い手として活躍した。