1948年、松竹に入社し、1954年に日活移籍。田坂具隆、新藤兼人に師事し、監督デビュー作は、F・トリュフォーにも絶賛された。その後、隆盛期の日活でコメディーの傑作「牛乳屋フランキー」(1956)などを発表した鬼才。