1970年、東映教育映画部の仕事をフリーでやり、大和屋竺に師事。1974年、“プロダクション群狼”を設立。2年がかりでデビュー作を完成させた。1979年、初の劇映画「十九歳の地図」で注目を浴びる。以後も、骨太の作品を作り続けている。