1955年、東宝の助監督で成瀬巳喜男につく。1959年からは、黒澤明のチーフ助監督を「赤ひげ」(1965)まで務めた。監督昇進後、最初は青春映画を作り、その後は「日本沈没」(1973)などの大作監督として成功した。