吉田喜重

1955年、松竹大船撮影所助監督となる。1956?60年まで、木下惠介の助監督を務め、1960年に助監督の身分のまま監督デビュー。4本を発表し、1962年に正式に監督に昇格、本格的第1作となる「秋津温泉」で認められた。松竹ヌーヴェル・ヴァーグの一人。「日本脱出」(1964)を最後に、松竹を退社。「エロス+虐殺)1970」などの前衛的作品を作り上げた。