1929年、マキノ映画に入社し、マキノ雅広に師事。その後、市川右太衛門プロから東宝へ移り、エノケン映画を監督。戦後は、新東宝で怪談映画の極め付けとも言える「東海道四谷怪談」(1959)や、「地獄」(1960)で新生面を切り拓いた。