1957年、東宝撮影所に入社し、黒澤明や堀川弘通の助監督につく。1968年に監督昇進第2作「俺たちの荒野」(1969)が、反抗する青春像を描いた意欲作として高く評価された。その後は、プログラム・ピクチャー監督として、安定した力を発揮。