黒木和雄
1954年、岩波映画製作所演出部に入社し、企業の海外向けPR映画を数多く手がける。1966年「とべない沈黙」で劇映画に転向し、1975年の「祭りの準備」で広く認められた。「TOMORROW・明日」(1988)、「美しい夏キリシマ」(2002)、「父と暮せば」(2004)の戦争レクイエム三部作などの秀作を多く撮り上げた。遺作となった「紙屋悦子の青春」の公開を待たずして、2006年4月12日に脳梗塞のために死去。
1954年、岩波映画製作所演出部に入社し、企業の海外向けPR映画を数多く手がける。1966年「とべない沈黙」で劇映画に転向し、1975年の「祭りの準備」で広く認められた。「TOMORROW・明日」(1988)、「美しい夏キリシマ」(2002)、「父と暮せば」(2004)の戦争レクイエム三部作などの秀作を多く撮り上げた。遺作となった「紙屋悦子の青春」の公開を待たずして、2006年4月12日に脳梗塞のために死去。