1961年、東映に入社して助監督となり、“昭和残侠伝”などでマキノ雅広に師事。20年の助監督生活を経て監督となり、1984年の「Wの悲劇」によって、その名を高めた。90年代には、「福沢諭吉」(1991)のような大作も監督。