井上和男

1948年、松竹大船に入社。脚本部、助監督を経て監督昇進。1960年の「予科練物語・紺碧の空遠く」では、自衛隊の協力を得ながらも反戦色が強く、国会で取り上げられるなど物議をかもした。1964年、フリーとなり、日米合作の「勇者のみ」の日本側の監督を担当。1971年には独立プロ・蛮友社を設立、出版も手がけた。