カーク・ダグラス
大家族の生計を支えるため40種以上の職業を転々とする中、演劇に興味を持つように。苦学の末、ラジオドラマやブロードウェイに出演。その活躍が認められ、ルイス・マイルストン監督「呪いの血」(1946)で映画デビューを果たす。「チャンピオン」(1949)ではアカデミー主演男優賞にノミネートされ人気実力共に知れ渡るようになった。1949年には自らブライナ・カンパニーを設立し、映画人としても意欲的に活動。その業績を評価されて1968年セシル・B・デミル賞を受賞。また第68回アカデミー賞では、50年にわたる映画界への貢献に対して名誉賞が贈られた。