監督志望だったが、最初は俳優として活躍。14年の俳優生活ののち、やっと念願の監督となり、「風の又三郎」(1940)、「次郎物語」(1941)など、詩情豊かな名編を生み出した。戦後は、娯楽映画監督に徹し、器用さのみが眼についた。