萩原遼

山中貞雄に師事。シナリオ・チーム“鳴滝組”の作家たちと接し、共同ペンネーム“梶原金八”の一人として脚本を手がける。以後、会社を転々として、フリーに。戦後は“笛吹童子”“紅孔雀”といった東映のヒット・シリーズを手がけた。