クラウス・キンスキー

詩の朗読などで舞台に立ち、そのパフォーマンス時に観客に物を投げつけるといった奇行を繰り返し、ビザール(奇怪)俳優として知られるようになる。その後、映画界に入り、マカロニ・ウエスタン全盛期にはひたすら悪役として登場。1972年、ニュージャーマン・シネマの雄ヴェルナー・ヘルツォーク監督と出会い「アギーレ・神の怒り」に出演、演技派としての活躍が始まった。ナスターシャ・キンスキーは最初の妻ルースとの子である。