1922年、松竹蒲田撮影所に入る。監督となってからは、それまでの日本映画にはない、ギャグの連続による、新しい喜劇を作り出し、一時代を築いた。映画監督時代の表記は、斎藤寅次郎。1962年に引退したのち、本名の寅二郎を名乗った。