羽田澄子
1949年、岩波映画製作所に入社。羽仁進の助監督を務めたのち、自らも監督に。1977年、「薄墨の桜」を自主製作して注目を集め、社会教育映画の枠を超えた女流ドキュメンタリー作家として、活躍を続けている。