赤松俊子とモスクワ 1937-1941
20/9/12(土)~20/10/18(日)
原爆の図丸木美術館
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モスクワの風景 1937-1941年頃
赤松俊子(のちの丸木俊)は、1937年4月から翌年にかけての1年間と、1941年1月から半年間の2度にわたって、通訳官や参事の子どもの家庭教師としてモスクワに赴任している。20代の彼女にとって、初めての国外、それも油彩の本場である西洋の体験は、画家として成長するための重要な機会となった。実際、最初の赴任から帰国後の1939年には、ロシアの風景の記憶を投影した《白樺の林》(取材地は北海道)で、二科展初入選を果たしている。
モスクワの街並み、人びとの生活、夏の郊外の別荘、観劇や展覧会……彼女が毎日精力的に描き続けたスケッチは、当時のモスクワの様子を知るための貴重な資料として読むこともできるだろう。
今展では、現存する油彩画10点、鉛筆・水彩スケッチ数百点を公開し、若き日の「女絵かき」のモスクワ体験を再考する。