野田九浦 ー〈自然〉なることー
22/4/16(土)~22/6/5(日)
武蔵野市立吉祥寺美術館
野田九浦《獺祭書屋》1951年(武蔵野市蔵)
野田九浦(のだ・きゅうほ 1879-1971)は武蔵野市ゆかりの日本画家だ。
幼少期から絵画に秀でた九浦は、10代半ばで日本画家の寺崎廣業(1866-1919)に入門、その後東京美術学校に進学する。同校中退後は日本美術院で研鑽を積むかたわら、正岡子規(1867-1902)に俳句を学び、白馬会洋画研究所に通ってデッサンの指導をうけたほか、留学を目指して英語やフランス語の習得にも励んだ。
九浦の中心的主題は画業の最初期から一貫して歴史人物だが、彼が、子規の自然主義芸術論に触れたことが画業の大きな転機になったと語っているのは注目に値する。当時の新たな日本画の画風として〈朦朧(もうろう)体〉があったが、九浦は伝統的な描法をまもり、線を埋没させることはしなかった。そうした彼の描写は一見古風で、華飾なく淡々とした表現のうちに強烈な個の表出はみえない。しかし、その清明な画面と静かに向きあえば、個という狭小な境域を超えた全体―自然、あるいは宇宙―のひろがりが実感される。九浦が大切に描いた線には、彼が子規から体得し、みずからのうちに昇華させた自然主義が集約しているといえるのではないだろうか。
博識で知られた九浦は評論や随筆を数多くのこしており、古画や歴史に学ぶのみならず、日本画の将来にも常に意識を向けていた。彼の画塾は吉岡堅二(1906-1990)や鈴木朱雀(1891-1972)、東原徹(1917-2008)といった独自色ある作家を輩出したが、それは九浦が先見性と懐の深さを具えていたことの証左でもある。
武蔵野市、こと吉祥寺地域には古くから多くの文化人が集い、多様な個が大らかに受容されてきた。50年近くを吉祥寺で過ごした野田九浦は、こうした地域性を、まさに自ずから然るべく体現していたともいえるだろう。
2021年11月、九浦は没後50年をむかえた。そして、2022年は吉祥寺美術館開館20年の節目にあたる。武蔵野市史を振り返れば、美術館構想の端緒となったのは野田九浦の作品群だった。九浦の存在によって吉祥寺美術館の現在があるといっても過言ではない。
今回は、武蔵野市が所蔵する作品より約20点を関連資料とあわせて展観、“歴史人物画の名手”という側面にとどまらない九浦の魅力をご紹介する。稀なる日本画家・野田九浦の仕事に触れるとともに、この時代を生きる私たちの在りようを見つめ直す機会となることを願っている。

