岡本秀「居かた、見ため」
22/7/15(金)~22/8/7(日)
FINCH ARTS
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岡本秀《くくるく療法》2021−2022, 64.0x88.0×2.0cm, 名塩雁皮紙、岩絵具、植物染料、墨、膠
本個展はFINCH ARTSとARTROの二会場で開催される。
各会場で展示される絵画作品には、一貫したテーマやコンセプトがあるわけではない。
日々のなかで、写生やドローイングをしたり、絵の具を触ったり、世の中や美術のことを考えたりといった、諸々の経験をただ絵にしている。
その中でも、「居かた」と「見ため」は、これから自分が取り組みたいと思っているいくつかのことのちょうど交点にある言葉で、単位のようなものだ。
ここに言葉を足したり、組み替えたりしながら、考えを進めていくための単位。
たとえば、人を「見ため」で判断することは、一般的には良くないことだとされている。
しかし、外見のヴェールを取り払って、完璧に無垢な状態で他者と接することは現実的ではない。
むしろ、声や身振りや話し方といった表象の諸要素を含めて「見ため」だとするなら、私たちは他者の「見ため」からしか、その内容を判断できない。
その一方で、「見ため」に付随するイメージ(印象、先入観や偏見)は、解体し、再構築できる。
親密さのイメージを、キスシーンという身体的接触から引き剥がすことや、家族らしさの表象を、核家族的な肖像写真から、もっと不可解なものに変容させることは、できる。「日本画っぽさ」や「現代美術っぽさ」も同様である。
DMに掲載した《くくるく療法》という絵では、画面の構図や外見が作り出す権力、風習のイメージをもとに、人の微妙な距離感を描こうとした。
その時思ったのは、絵画平面上で、色や形や線を探りながら空間をつくっていくように、画中の人物の表情や身振りを探りながら、これまでとは別な「居かた」の関係性をつくっていくことが可能かもしれないということだ。
「なにを描くか」と「いかに描くか」の間の交換ではなくて、「どう居るか」を「どう描くか」という問題を扱えるかもしれないと思った。
他者との関係は、造形の問題に具体的に置き換えられる。現実の複雑さを保ちながら。
本展の出品作は、まとまりのある目標は持っていない。ただ、「居かた」と「見ため」をめぐって繋がっている。できれば言い淀みや、しどろもどろの語りも一つの形式になりうると信じたいが、いろいろと迷っているというのが素直な気持ちだ。
しかし、希望の持てる予感もたくさんある。
どうすればいいかわからない、という迷いや、矛盾も含めて、自分の作品を一度まとまった状態で観てほしいと思う。
岡本秀
※本展は2ヶ所同時開催。
FINCH ARTS|京都市浄土寺馬場町1-3
金土日開廊
13:00-19:00
ARTRO|京都市中京区貝屋町556
月曜休廊
11:00-18:00