松井えり菜展 アストラル・ドリーマー
24/7/20(土)~24/9/7(土)
ANOMALY
《パラドキシカルポートレート》(2023) キャンバスに油彩、H162xW130.5cm ©︎Erina Matsui撮影:坂本理
「変顔」の自画像で知られる松井えり菜は、2004年GEISAI #6で金賞を受賞しデビュー、以後自画像やその絵画史、また自己の作品のルーツについて考察を続け、制作・発表してきた。本年市原湖畔美術館で開催された「市原湖畔美術館子ども絵画展」ではゲストアーティストとして子どもの絵画と共に新作を発表するなど、現在も精力的に活動を続けている。
松井にとっての絵画制作とは、現実では叶わない理想郷を自由に構築できる場であり、スペクタクルな宇宙空間と日常の自分自身の対比など、スケールの大きな世界を描くことのできる手段だった。漫画やアニメから大きな影響を受けてきた松井は、なかでも子供の頃に出会った「ベルサイユのばら」や「魔法使いサリー」など少女漫画に傾倒し、ブロンドの少女や西洋文化に強く惹かれてきたと言う。そのような憧れの対象に変身するような自画像も描いてきたが、多くは「変顔」と呼ばれる滑稽な表情や極端にデフォルメされた顔だった。「変顔」は、自分の滑稽さを素材にして他者と笑いや感情を共有したいという若者たちから生まれた流行で、80年代生まれの松井はそのものをキャンバス上で体現しながら、絵画の世界にセンセーションを巻き起こした。
近年在外研修でパリに赴き制作を進める中で、何を描いて/何を描かないかを改めて考察し、むしろ描かなかったことで広がる無限空間に着目するようになった。「変顔」を描く「上手さ」に通じるリアリズムから距離を置き、入れ子状(鏡を通して自分を見ている自分を天井の視点から描く)の視点から描いた自画像や、少女漫画のような素敵な自分ではなく、憧れのパリに居て朝起き抜けで髪がボサボサな(しかしルーブル美術館のトレーナーを着ている)自分自身のリアリティを描き、鳥瞰する視点が絵画に現れるようになった。
iPadを見ている最中突然画面が暗転した瞬間に映ってしまった自分自身の姿に絶望したり、電車がトンネルに入った時窓に映った自分の姿が脳内の自分像と乖離していて、がっかりした経験は誰にでもあると思う。年齢を重ね今ある自分自身と、脳内アニメ的自分との乖離が、松井えり菜の場合は非常に大きいのかもしれない。
自画像を描き続けて20年。歳を重ねていくたびに私自身と私の中の少女性が乖離していくのを感じています。そんな私が「パリに行きたい・・・」と呟くのは決まって目の前の何かから逃避したいと思う時。私の少女性は身体から離れ、池袋の雑然とした自宅から出発し、日本を飛び出し海を越えフィンランドの上空を通過しパ リを目指して飛んでいくのです。
使い古された部屋着のスウェットとレギンス姿の、およそパリに似つかわしくない格好をしている私は、幼少時からの憧れが凝縮したユートピアのようなイマジナリー・パリを散歩します。明るい日差しと美しい街並みを歩き回るうちに、日向を歩くよりも日陰からキラキラとした風景を見る方が心地よく性分に合っていることに気づきます。
そうこう思案していると帰国後に成田空港で飲む味噌汁の旨さを思い出し、急激に意識の乖離が埋まり、なんてことない私の日常に戻るのです。
松井えり菜
以前の自画像は「インターネット上でのコミュニケーションが氾濫する昨今、人は自らの顔を隠しのっぺらぼうのような世界を作り上げているのではないか」という松井の問いと、「1ミリ表情筋が動いただけで、様々な情報を伝える顔」に「宇宙空間のような無限の広さ、可能性」を示す松井だが、今回発表する作品は、「描かないこと」で現れる世界と、他者の視点が展開されている。 本展タイトルの「アストラル・ドリーマー」は、幽体離脱(≒アストラル・トリップ)して、夢(時には悪夢という現実)のように様々な自分自身がいる、といった意味合いの造語である。