高橋大輔展「Open Map」
25/4/26(土)~25/5/17(土)
ANOMALY

《Open Map-11》(2024) キャンバスに油彩
ANOMALYでは2025年4月26日(土)から5月17日(土)まで、高橋大輔の個展「Open Map」を開催する。
高橋(1980年生まれ)はデビュー当初から鮮やかな絵の具が幾層にも重ねられた厚塗りの抽象絵画を数多く制作してきたが、2016年頃からその作風に変化が現れた。2022年にANOMALYで開催した個展では、自身の子供の絵やオートマティスム*1の影響を受け、チューブから絵の具を直接絞り出し、一筆描きのように一気に描かれた斬新な絵画シリーズを発表した。その後も試行錯誤を重ね、これまでのキャリアに囚われない挑戦的な試みを続けてきた。本展で初めて発表される「Open Map」は、長い変遷を経て辿り着いた、高橋にとってある種のマイルストーンとなる重要なシリーズだ。
本シリーズ制作にあたり高橋は、感覚的に色彩を選択することで失われてしまっている可能性に着目し、印象派の画家たちに倣って「赤、青、黄」の三原色と、そのうち二色を混ぜることで生まれる第一混合色を使用するといった規則を設けて制作に臨んだ。そうすることで、各色が本来持つ特徴を最小の介入で最大限に活かし、科学的かつ合理的な色の選択が可能になった。
また、マスキングテープを多用し真っ直ぐな線を素早く引くといった合理性を、描く行為にも求めた。同時に、一度描いた線を積極的に採用し、上描きはせず、そのまま画面に生かすといった、能動的な態度とは一定の距離を保つ姿勢を徹底した。作家の内にあるイメージへ向かうのではなく、目の前のキャンバスに広がる現実に抗わず、必要な施しをすることに徹したのだ。
さらに「自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい」というセザンヌの有名な言葉を、合理的な画面構成の手段だと独自に解釈し、それを採用した。色彩選択と同様に、感覚的にフォルムを作り上げること、そして自分の目を中心にものを見ることを抑制することで、作家と絵画との間に程よい距離感を作ることができた。
この様にして生まれた「Open Map」シリーズは、支持体から鑑賞者の方へと物理的に迫り来る縦軸の層の構造を成していた厚塗りの作品が、横軸に塗り広げられていく感覚に近いとも高橋は言う。本シリーズがこれまでの厚塗りの作品とは異なり、非常に風通しの良い作品になったことに、作家は手応えを感じている。
「どのように作るか」を重視し、合理化を進めた結果、作品が「開かれ」たこと、高橋という作家を超え(≒「開かれ」)たことが本シリーズの大きな特徴だ。
ここで「開かれる」対象となったマップとはいったい何かという疑問が浮かんでくる。マップに関して高橋は、自我を手放していくこの制作プロセスによって手に入れることが可能な「俯瞰した眼差し」だと言う。
俯瞰した眼差し、それは非常に日本的な発想だとも言える。例えば西洋絵画史に長く君臨した一点透視図法は、画面に対し消失点、いわば絶対的視点を必要とする描き方だ。一方、日本絵画では長く多視点的で緩やかな抜け感が特徴の作品が発展してきた。最たる例が洛中洛外図屏風のような画面構成で、そこには俯瞰的な多角的視点が存在している。他にも高橋は、俵屋宗達や浦上玉堂らの仕事に着目し、彼らの大胆な画面構成や、素材の持つ力に表現を委ねる態度を参考にした。先人たちの仕事を学び、独自に解釈していくなかで、制作をよりシステマティックにしていき、より不自由に、より自我を手放すことで翻って作品は躍動感を増し、自由で開かれた地図として現れてきたのだ。実際にこの「Open Map」シリーズは、画面から音楽が聞こえてくるような、心地よい開放感に満ちている。
一方、厚塗りの作品は、「Open Map」を折りたたむ、広がった地図を自分の中に再びしまいこむ、自分のものにするといった感覚で現在も展開を続けている高橋作品の代表的シリーズだ。本展ではこの厚塗りの作品も合わせて展示することで、「Open Map」と厚塗り作品の互いの影響関係を皆様に感じてほしい。
高橋はアンリ・ベルクソンの言葉を引用して次のように言う。
「目を開いてすぐに閉じる時、私が感じる光の感覚は私の一瞬間に含まれますが、そこには外界に繰り広げられる非常に長い歴史が凝縮されています。そこには次々に継続する何億兆もの振動が含まれています。
その振動を数えようとすれば、どんなに時間を節約しても何千年もかかるような出来事の系列です。」
–アンリ・ベルクソン 「精神のエネルギー」
私はこのベルクソンの言葉が好きで、心底共感している。自身の画業で達成したい事、そして今までやってきたことは、このベルクソンの言葉にあるような「何億兆もの振動の中」、つまりエネルギーの中にいて、翻弄されながらも、それら一つ一つをタブローとして記録し続けることではないかと思いはじめている。言い換えるならば、一点透視図法、つまり西洋近代ごろまでの価値「自分中心に世界を見る」ことではなく、自己がそのまま絵の中に入っていくことだ。
今回の”Open Map”は多かれ少なかれ、アジアの山水画や桃源郷思想、さらに中世イコンの構造に接近しつつある段階だと考え始めている。
高橋が「Open Map」の構想を練り始めてからおよそ9年。何億兆もの振動の中に晒されながら辿り着いた作品を、是非この機会にご高覧いただきたい。
会期中の5月10日(土)には、埼玉県立近代美術館で2016年に開催され、高橋も参加した「NEW VISION SAITAMA 5 迫り出す身体」をキュレーションし、以来高橋作品の変遷を長年見守ってきた、埼玉県立近代美術館学芸員の大浦周氏をお招きし、トークイベントを開催する。詳細は、ArtStickerおよび同廊のホームページやSNSをご覧いただきたい。
[註] *1オートマティスム:「自動記述」「自動現象」などと訳される。1924年の「シュルレアリスム宣言」でアンドレ・ブルトンはこの方法を「理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書き取り」とした。