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菅 木志雄

25/7/11(金)~25/8/9(土)

小山登美夫ギャラリー六本木

界境端 Realm of Bordered Edges 1997 wood, acrylic 77.0 x 55.0 cm ©Kishio Suga

同ギャラリーで連続開催している菅木志雄展の10年目を記念し、小山登美夫ギャラリー京橋、六本木、天王洲の3箇所にて、個展を同時開催する。
菅は2015年以降、弊廊にて10年連続で新作展を開催しており、「志向する界景」(2015年)、「分けられた指空性」(2017年)「広げられた自空」(2018年)、「測られた区体」(2019年)、「放たれた景空」(2020年)、「集められた〈中間〉」(2021年)、「有でもなく無でもなく」(2022年)、「ものでもなく場でもなく」(2023年)、「あるというものはなく、ないというものもない」(2024年)と続き、今年は菅にとって新スペースの京橋での初の展示となり、個展タイトルは「固縁中在」(2025年)となった。
京橋では新作立体とインスタレーション、また、六本木、天王洲でも同会期にて菅の作品展示を行い、六本木では70~80年代のドローイング及び80年~2000年代の小立体作品、天王洲ではアクティヴェイション映像と写真、ドローイング、スレートにパテを使った90年代の作品シリーズを展示する。
また毎年刊行しているカタログにて、今回は菅とカーラ・ブラック2人展(2016年)のキュレーションや東京都現代美術館個展(2015年)カタログでのテキスト執筆等いただいた、スコットランド国立近代美術館ディレクター サイモン・グルーム氏に特別寄稿いただいた。

【菅木志雄と制作について
―従来のアートや世界のあり方、見方を根本から問い直す】

菅木志雄(1944-)は、60年代末~70年代の芸術運動「もの派」の主要メンバーとして活動。その後も、ものの多様な存在性が表わす本質的な作品世界を深化させ、同時代を生きる戦後日本美術を代表するアーティストとして独自の地平を切り開いてきました。
旧来は日常にある素材でしかなかった「もの」自体や「もの」を知覚する人間、またそれぞれの関係性へ目を向けた菅の思考は、既存のアートや世界のあり方、見方を根本から問い直し続け、国際的に確たる評価を得ています。
いままでに400以上の展覧会に参加、作品はポンピドゥ・センター、テート・モダン、ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外40以上の美術館に収蔵されており、今年2025年7月19日からは、ニューヨークのDia Beaconにて個展形式の作品展示を行います。

(詳しいアーティスト情報はこちらをご覧ください:https://tomiokoyamagallery.com/artists/kishio-suga/)

【新作に関して
―ものが何を語るか、複雑に見えない複雑さ】

今回の新作や自身の制作に関して、菅は「シンプルに、早く。今はシンプルさが重要。若い頃の作品は複雑だったように思う。ただ、ものが何を語るか、複雑に見えない複雑さが大事。昔の作品も、今の作品も、連続し時代で分断されない。しかしその時々の思考性で何が重要か、見方も変わっていく。」と語っています。

そして本展に際し、次のステイトメントを記しました。
—————————————
「固縁中在」

いつもものは個々にあるものである。そうでありながら、人はそう考えない思考性を有している。ものに人は何かを見ようとし、ものはそれまでに見せなかった様相を瞬間に見せることがある。見えているものがすべてというわけではない。また見えないからといって、そこに存在性がないというわけではない。存在性を認めるのも人の目なら、認めないのも人の目である。ふつうでない状態を、人は想定していなければならない。

菅 木志雄 2025/5

—————————————

菅は、「もの」は単なる「固体」や、人間の主観で意味が与えられた「客体」ではなく、独自の論理と方向性、人の反応も取り込んだ厚みのある、現代性、現在性をもつ存在として捉えている。
そしてアーティストの役割はそれを聞きとることであり、数ある本人のテキストやインタビューの中でも、「『もの』に潜在的に備わっている〈見えざるもの〉 を〈見る〉 」という言い方を度々用いている。
ものをただ見ることは難しくはないが、そのものの内面性と本質を知ることは、並大抵のことではない。
菅は「もの」が「作品」たり得る独自の存在や場(空間)の内在化を取り入れ、ものの向こう側にもこちら側にも、なにかがあるのではと思わせる領域(縁)を提示することで、その中にあるものの本質を顕在化しているのではないだろうか。
それは作品によって「見えない世界が可視的なものによって現れる」という状況でもある。
今回の新作「入遠」は、黄色の地の上に大きなコの字が2つ、上下向かい合い配置されている。3方囲まれながら1辺は開き、そこから何か空気やエネルギーのような流れが共鳴し合うような、また地の黄色が関わりながらも別の縁として存在するような、ごく限られた要素での「複雑に見えない複雑さ」が作品から溢れている。

サイモン・グルーム氏は、自身のテキストにおいて次のように述べている。
「(菅の)作品はゆっくりと、それとなく、静かに異なる見方を誘発する。その見方において、私たちの目の前にある個々の作品は、それ自体完全であり完成していながら、同時に次の作品であったり、非常に合目的的でもあるがそれでいて非常に偶然的でもあるように見える要素の異なる配列であったりを見たいという欲望、実際にはそうする必要性を誘発する。不思議なことには、無限のものであるという感じが必然であるという感じと共存するのである。」
(サイモン・グルーム「Connection of Separated Causes」、菅木志雄展「固縁中在」“Existence Within Definite Contours”カタログ、小山登美夫ギャラリー、2025年 )

また菅は、現在の自身の制作について次のようにも語った。
「前は鉄、石、ロープなども使ったけれど、今は木しか使わない。感覚的に意識的に木が自分にあっているが、素材性よりもものをどういうふうに使うかが大事。ものを見るには哲学が必要。アイディアでなく、ものはすでに存在しており、方法論でなく、自分の行為と状況がどういう状態であるか常に考えていないとなかなかものを作ることができない。」(菅アトリエでのインタビューより、2025年2月)作品はゆっくりと、それとなく、静かに異なる見方を誘発する。その見方において、私たちの目の前にある個々の作品は、それ自体完全であり完成していながら、同時に次の作品であったり、非常に合目的的でもあるがそれでいて非常に偶然的でもあるように見える要素の異なる配列であったりを見たいという欲望、実際にはそうする必要性を誘発する。不思議なことには、無限のものであるという感じが必然であるという感じと共存するのである。

この10年においても菅の感覚はさらに研ぎ澄まされている。通底した思考がありつつ変化を厭わない。時代性や人の意識に対してのこの鋭敏さこそが菅の作品に現代性を表し続けている所以だろう。菅は常に私たちに問いを与え、理論とものが交差した新鮮な世界観を提示してくれる。

開催情報

ジャンル
ギャラリー

11:00~19:00
日・月・祝休廊

料金

無料

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