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武田陽介展「STRUCT.RE:CALL」

25/7/1(火)~25/8/2(土)

KOSAKU KANECHIKA

© 2025 Yosuke Takeda

KOSAKU KANECHIKAでは、7月1日から8月2日まで天王洲にて武田陽介展「STRUCT.RE:CALL」を、また、7月5日から8月9日まで京橋にて武田陽介展「Lost in Translation」を開催する。
武⽥陽介は、写真というメディウムの可能性を追求し続けている。代表作である《Digital Flare》シリーズは、デジタルカメラを強い光に向けた際に⽣じるフレアという現象を捉えている。その光とは、カメラのシステムがとらえた純粋な被写体ではなく、その被写体とシステムの関係性から⽣じ、カメラフレームの内部に溢れた光であり、それを作品化することを武⽥は「⼿段の形跡、存在の刻印」と表現する。つまり写真において、被写体はカメラシステムの外部にあり、客観化され、カメラはそれを写しとる、という前提を相対化している。「⼿段(カメラ)と⽬的(被写体)の錯綜した関係性」をこそ被写体とする彼のコンセプトは、写真の歴史においてこれまでに⾏われてきた様々な実験に連なるものであるだけではなく、美しく、強度があり凝縮された作品を⽣み出している。
KOSAKU KANECHIKAでの2回目の個展となる本展で、天王洲ではキャリア初期の2006年に撮影された作品から、デジタルカメラを強い光に向けた際に生じる現象をとらえた武田の代表作《Digital Flare》シリーズ、そして新作までを展示する。

本展タイトル「STRUCT.RE:CALL」は、構造的な記述法としての「再呼出し」と記憶の位相を示している。その構造の定義と仕様について、武田は以下のように提示する。

module: STRUCT.RE:CALL
descriptor: |
 No field stores the soul. Still, it echoes.

 STRUCT.RE:CALL is a structure-reference protocol.
 It reactivates elements not formally archived via latent resonance or external alignment.

interface:
 type: structure_reference
 syntax: STRUCT.RE:CALL
 access_mode: indirect
 trigger: interface_activation

state:
 archive_state: not_stored
 naming_state: undefined
 activation_state: latent
 temporality: non_linear
 interruptibility: true

output:
 type: residual_echo
 form: structural_reflection
 persistence: transient

use_case:
 - access memory units with no formal archival
 - trace unnamed structural imprints
 - invoke relational remnants without explicit address

一方、京橋では、新シリーズ《Lost in Translation》を発表する。本シリーズでは結露した⽔滴をモチーフとし、様々な条件(カメラの機種、レンズの種類、露光時間、カメラの動かし⽅など)を次々と変化させながら、同一の対象に繰り返しアプローチしている。その膨⼤なイメージの中からセレクトされた作品には、驚くほど多様で豊かな濃淡と⾊彩を持った光とテクスチャーが定着しており、構図の大胆さと、そこに潜む不確かさの揺らぎとが共存している。

京橋での本展に際し、武田は以下のステートメントを寄せています。

Lost in Translation

ある国の言葉を知らないとき、私たちは世界の端に立たされる。看板の文字が読めない、電車のアナウンスが意味を持たない、店員の微笑みが挨拶なのか困惑なのかも分からない。言葉は思ったよりも容易に解けてしまい、頼りない記号のようにしか見えなくなる。誰かが長く話した後で、ほんの短い言葉しか返ってこないことがある。その間に消えたものを想像するのは、難しい。

だが、言葉の外でも、私たちは時折、取りこぼしてしまうものがある。何をどう伝えても、肝心なものが抜け落ちることがある。誰かと会話をしながら、沈黙のほうがずっと正確だったのではないかと思うことがある。相手がこちらを見ているのに、その視線の底には決して届かないような感覚がある。そういうとき、自分が何者なのか、どこにいるのかがふと分からなくなる。誰かの言葉に安心を求めても、それがひびく頃にはもう遅いこともある。

遠くへと来たとき、世界は違和感を伴って歪む。自分の輪郭がぼやける。馴染みのない場所に立ち、知らない言語の中にいると、自分という存在がまるで透明になったように感じる。けれど、それが不安とは限らない。違和感は、ときに不思議な安堵をもたらす。何者でもなくなれることの心地よさが、そこにはある。

最後の言葉を思い出せないことがある。確かに話したはずなのに、その内容よりも、声の温度や、小さな間合いばかりが記憶に残る。けれど、それでよかった。世界には、翻訳されなくてもいいものがあるし、翻訳してしまったら壊れてしまうものもあるのだから。

本ステートメントは、三部作というかたちをとる言葉の記録のひとつであり、展示の時間と静かに交錯するよう、本展の構成に組み込まれている。
会場では、展示を構成する要素のひとつとして、作家自身によるテキストも配布する。
撮影条件を変化させながら捉えられた光の軌跡は、言語化し得ない時間や感情の断片のようでもあり、それはまさに、言葉では伝えきれないものを描き出す今回のエッセイと呼応している。
揺らめく光の層と、行間に沈む声なきもの。
その両方に触れることで、本展はひとつの“翻訳されない経験”として立ち上がる。
本展を通して、観る者それぞれの内側に沈む「すでに言葉を失ったもの」に光をあて、映像とことばのあいだにある“すくいきれなさ”を静かに浮かび上がらせることができればと、武田は語る。
天王洲のスペースでは16点を、京橋のスペースでは20点を展⽰する。

開催情報

ジャンル
ギャラリー

11:00〜18:00
日・月・祝休廊

料金

無料

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