ハロシ ABACO
25/9/12(金)~25/11/9(日)
NANZUKA UNDERGROUND

この度NANZUKAは、東京都在住のアーティスト ハロシによる個展「ABACO」をNANZUKA UNDERGROUND にて開催する。本展は、NANZUKAのメインギャラリーにおける展覧会としては、2017年「GUZO」、2021年「I versus I」に続く3度目の新作個展となる。
ハロシ(Haroshi)は、2003年より独学で習得した技法を駆使し、スケートボードデッキの廃材を使った作品を制作。ストリートブランドHUFとのコラボレーション、世界有数のスケートボード大会BATBのトロフィー制作などを通して、現在のストリートシーンを象徴するアーティストの一人として絶大な支持を集めてきた。2018年には、Art Basel Miami Beachにて個展(Nova, NANZUKA)、2019年から2020にはJeffrey DeitchのNYとLAを巡回したグループ展「Tokyo Pop Underground」、2022年にJeffrey Deitch NYにおいて個展「Dive into the Pit」、2023年「City As Studio」(K11 MUSEA、香港)など多くの展覧会に参加してきた。
これまでハロシは、使い込まれたスケートボードに深い敬意を表した彫像作品「GUZO」シリーズ、古いプラスチックビニール製フィギュアを修復・改造し、新たな命を吹き込むことでモノへの愛情を表現したソフビシリーズ、そして、使い終わったスケートデッキを刻んで再構成し、スケーター1人1人の個人史とスケートボードカルチャーの総体を描き出したモザイク平面作品「Mosh Pit」など、代表的なシリーズを発表してきた。
一方、本展「ABACO」では、人々に必要とされなくなり、中古市場で安価で取引されているこけしとそろばんの珠をモチーフにした新作彫刻を制作、完成した作品を一堂に会したインスタレーションを発表する。現代の私達がその価値を忘れつつある素材に着目した背景には、ハロシが長い年月をかけて独自の視点で探求を重ねてきた日本の土着文化への関心がある。万物に神の存在を見出そうとする日本人の美意識が生み出した道祖神(お地蔵様など)とGUZOとの関係性はその一例で、打ち捨てられたものへの尊敬や愛情もまたハロシの作品の重要な文脈の一つだ。こうした流れからも、今回ハロシがこけしとそろばんをモチ−フとして選んだことは自然な流れだと言える。
ハロシの作品のコンセプトは救済にあります。それは使い終わったスケートボードであったり、ソフビであったり、打ち捨てられ、忘れられていくものを救い、新たな進化のかたちを創造していくことです。2003年にこの活動を始めた当初の私たちのコンセプトはこの活動を世界的なものにして、スケートボードをリサイクルしてものを作る人を増やして、捨てられるスケートボードを無くそうということでした。今はもう、私たちのことを知らないでスケートボードからものづくりをする人が世界中に溢れています。
そんな時、私はこけしに出会ったのです。こけしはソフビなどの石油製品のおもちゃが誕生するまでは子供のお供の一つでありました。ですがその存在はバービーやソフビなどに取って代わられ、今では一部の愛好家のみが収集する工芸品になっています。中でも古くなって真っ赤に日焼けしたこけしたちは行き場もなく、リサイクルショップや骨董市で格安で売られていたわけです。
傷だらけのこけしが投げ売りされているのを見た時に、飽きられて捨てられたトイストーリーズのバズ・ライトイヤーを思い出しました。その時、彼らのためになにかできるのではないか?と思ったのです。
古くなったこけしを彫刻している時に、3Dプリンタのことを調べる機会がありました。私のやってきたことと3Dプリンタのようなテクノロジーの最先端の技術との対極さが面白いなと思った時に、コンピュータが計算をするという行為をアナログに表現してみてはどうだろうと思いました。そこで古くなり使われなくなったそろばんの収集が始まりました。そろばんにはコンピュータのようにテクノロジーのアップデートはありません。ですが、使い込まれたそろばんには膨大な回数の計算をこなした記憶が、その飴色に変わったそろばん球には刻み込まれています。そろばんで装飾されたこけしは、計算することによってあらゆる物事を理解し、作り出そうとしている我々人間の歴史を象徴しています。
なぜかここ数年、日本を旅する機会が増え、日本の文化を見直す経験を多くしました。ずっとアメリカの文化に魅了されてきた私にとって、自分の中に実はあった日本的な部分にも向き合うことができました。今回は全て純国産の素材と向き合うことになったのも、そんな経験があったからかもしれません。
宇宙に果てがないように、私たちの体の中にも宇宙のように果てない奥行きがあるのです。私たちが理解できる範囲を果てなのではないかといっているだけで、我々の外側にも、内側にも実際はそんなものはないかもしれません。
ー ハロシ
モノの歴史、物語、愛着を紐解いて作品化するハロシにとって、本展覧は新たな創作の方向性を示す重要な実践となることだろう。