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田中 功起:「ひとつの詩を5人の詩人が書く(最初の試み)」2013年

19/12/14(土)~20/1/19(日)

青山目黒

この映像作品「ひとつの詩を5人の詩人が書く(最初の試み)」は2013年作で1時間強におよぶ。
グループ展等で紹介されたことはありますが、はたしてどれくらいの人がこの作品を認識したのだろうか。
映像の長さがまず人を選んだのかもしれない。それ以外にも主題の設け方、内容がそうさせているところもあると思う。
正直に話すと私自身も当時から割と最近まで気後れしていた。
何度見ても良い作品だと思いながら、作者、関わる人々の深刻さ、神妙さに息が詰まるような思いもしていたのだ。
それは人と人が集まり関わることの難しさ、相手を敬い、耳を傾けながらも主張し、あるいは譲り、それぞれが最善を尽くそうと努めている。それでもその実践が必ずしも上手くいくとは限らない。その様子が真剣で、しかもあまりにも詳らかに映像に留められていて、それが独特の気まずさとして、あるいはもどかしさとして、受け止めきれなかったのかもしれない。
そこでの注意深い振る舞いには、下手な所感などうっかり口に出せない圧があった。(勝手にそう思っていたのかもしれない)。
それでも田中功起は、さらにこの方向性を、より強く、推し進めていく。
当初の「失敗も終わりもない」から、次に展開した「偶然と必然のミックス(それでも成功する可能性が五分五分)」、そこからの「失敗する可能性大(例えば「不安定なタスク」のシリーズなど)」の設問へ、その頃、田中は大きく移行した気がする。
例えば、本は読みやすければ良い、お酒は飲みやすければ良い、ばかりではないと思うのである。
同時に田中の作品を展示したい、という気持ちがいつもあった。何度も企画・設定しては何かがかみ合わず、実施にいたらなかった。
今夏、あいちトリエンナーレがあった。
そこでの新作「抽象・家族」は一層手間をかけた下準備と設計によるプロジェクトだった。その設計の影響は、画作りだけでなく、映像のための絵画や展示構成にも、あるいは会期中に複数回開かれた集会(アッセンブリー)でも、そこで参加者から引き出された普段聞くことのない言葉や身振りにさえも、表れていた。
そして会期が始まってまもなく起きた「表現の不自由展、その後」の閉鎖。それを受けての田中による声明と「展示の再設定」という名のボイコット、そして会期終盤近くでの「不自由展」再開にともなう展示再開。
あいちトリエンナーレに展示されていたそれぞれの作家たちの作品と状況の変化して行く中で、作家それぞれの態度(表明)と個々の作品は、同じ人間から発せられたものだとしても、本来なら切り放せる別物でもありえたはず。それでも態度と作品は相互干渉しつづけ、その状況に共感しつつも、戸惑いながら、私自身の受け止め方にも、多くの観客や関心を寄せた人がそうだったように、おそらく影響がある。他方で、そういうことを抜きに、実際に会場に足を運んで作品巡りを楽しんでいた方もいた。
私たちは同じ場所にいても違う景色を見ている。事実は事実なのにこんなにも捉え方は異なる。
その現場で、今回の映像こそ、今、ギャラリーで展示すべきだと思った。
改めてこの映像を見るとずっとそうだと思っていた気まずさは感じられなくなった。
価値観や相性の異なる人と時間を共に過ごすことは普段から大なり小なりある。
そういう場での、互いの向き合い方や距離のとり方、取り組みの強弱や立ち居振る舞いも、この作品の中に見つけることができる。
そっとひとりで見ることもできますし、誰かと共に訪ねてくることもできる。一度目で時間がなければ、再訪してもいい。

開催情報

ジャンル
ギャラリー

12:00~19:00(土曜・日曜は18:00まで)、月曜・火曜・水曜・2019年12月30日~2020年1月8日休廊

料金

無料

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