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ミュージカルの話をしよう 第12回 ダレン・ヤップ、情熱に引っ張られて歩んできた演出家の道

ナタリー

ダレン・ヤップ

生きるための闘いから、1人の人物の生涯、燃えるような恋、時を止めてしまうほどの喪失、日常の風景まで、さまざまなストーリーをドラマチックな楽曲が押し上げ、観る者の心を劇世界へと運んでくれるミュージカル。その尽きない魅力を、作り手となるアーティストやクリエイターたちはどんなところに感じているのだろうか。

このコラムでは、毎回1人のアーティストにフィーチャーし、ミュージカルとの出会いやこれまでの転機のエピソードから、なぜミュージカルに惹かれ、関わり続けているのかを聞き、その奥深さをひもといていく。

第12回にはダレン・ヤップが登場する。演出家として、日本ではミュージカル「ミス・サイゴン」(2012年、2014年公演)やミュージカル「ゴースト」(2018年公演)を手がけてきたヤップ。自身はオーストラリアに生まれ、俳優として舞台の世界に入った。その後、まさに“世界をまたにかけて”活躍するクリエイターとなった彼は、一方で、俳優たちの心を理解するため、今でも自らステージに立つ。そんなヤップはミュージカルにどんな魅力を感じているのか。誰に対しても朗らかに、笑顔で語りかけてくれる彼が、自身の演出家としての流儀を明かした。

取材・文 / 大滝知里

“特別な日のお出かけ”で観たミュージカル

──ヤップさんの舞台の原体験は、いつでしたか?

たぶん小学生の頃ですね。初めて観たミュージカルは、9歳か10歳のときの「ジョセフ・アンド・アメージング・テクニカラー・ドリームコート」(以下、「ジョセフ」)か、「ジーザス・クライスト=スーパースター」(以下、「ジーザス」)だったと思います。「ジョセフ」は子供の頃に自分が初めて出演した作品でもあるんですよ。兄弟の中の1人を演じました。僕は昔から音楽が大好きだったので、「ジーザス」を観たときは、特に歌に圧倒されましたね。照明や舞台装置が美しかったのもよく覚えています。「わあ!」と感動しました。

──それから舞台をよく観に行くようになったのですか?

僕はアジア人で医者の家庭の生まれだったので、パフォーミングアーツが身近なものではなく、舞台を観るのは特別な日のお出かけのときくらい。「ジーザス」を観たのは、きっと母が観たがっていたからじゃないかな。「ジーザス」がオーストラリアで開幕したのは当時、大きな出来事でしたから。

──舞台は“特別な日のお出かけ”で観に行くものだったにもかかわらず、なぜ俳優になろうと思ったのでしょう?

自分も授業で若者に教える機会があるんですが、そのときにも言うのが、この道を選んだきっかけはパッションとコーリング(直感)だったということ。18歳の僕が進路を決めた理由は“情熱に引っ張られた”と表現するのが正しいんです(笑)。もともとパフォーマンスをするのは大好きでしたが、オーストラリアで、アジア人で俳優をするということは大変なので、両親からは反対されていました。演劇学科とはいえ、大学に受かったら喜んでくれましたけど(笑)。この業界には「自分には才能があるから、成功できる」と思って入る人はとても少なくて、僕のような人が大半です。僕もいまだにその情熱を持ち続けているから舞台に携わっているのでしょうね。

──“いまだにある情熱”というのは俳優として? それとも演出家として?

今はたぶん俳優と演出家の両方。ただ、18歳の僕は演出に対して全く興味がありませんでした。実際に演出を始めたのは28歳くらいですが、それまではパフォーマーに対する思いが強かった。俳優から演出家に転向したきっかけは、「ミス・サイゴン」に出演していたときで、僕は舞台恐怖症になってしまったんです。舞台に立てなくなってしまったので、違うものはないかと模索しているうちに、演出家にたどり着きました。僕の方向転換はたくさんある選択肢の1つではなく、必要に迫られたものだったんですね。そこで、道は少し変わったけれど、自分を突き動かすのは“舞台が好きだ”という気持ちなんだと改めて知りました。

──恐怖症になってしまったけど、2019年にはオーストラリアとシンガポールでミュージカル「アラジン」にサルタン役で出演されましたね。

なぜ「アラジン」の仕事を引き受けたかというと、1つには自分が舞台恐怖症を乗り越えられたのかを確認するため。やってみて、ちゃんと克服したとは言い難かったなと思います。それは単純に自分が2000人のお客さんの前で演じるということに対して、うまくいくときもあれば、不安が勝るときもあったので。2つ目の理由は、自分が演出家として続けていくうえで、演じるということに対して俳優がどれほどの負担を感じているのかを理解する必要があると思ったからです。確かに再び舞台に立つのは勇気がいることでしたが、挑戦したことで今は、1人の人間として“より良くなった”と思います。舞台に立つ俳優の思考や、彼らの生の舞台に立ち続ける勇気を、身をもって知ることができたので。

「ノー」と言わないヤップ、流されるままにイギリス・東京へ

──舞台だけではなく、近年は2016年のエジプトでのプレショーセレブレーションズ、2019年のアブダビでのUAE建国48周年行事など、さまざまな場で演出をされています。仕事選びにはどんなポリシーがありますか?

若い頃に演出家として仕事を始めたときに、良いアドバイスをもらったんです。それは、「ノー」となるべく言わないこと。たくさんのプロデューサーや制作者と関わり、仕事をすることがとにかく大事だと教わりました。ミュージカルだけでなく、ストレートプレイやさまざまなジャンルのシアターをやったほうが良いとも。また、現実的な問題として、シドニーは東京ほどミュージカルが盛んではないんです。特定のジャンルにこだわるのではなく、オープンマインドで、与えられたものを素直にやってきたところが大きいですね。

──そんなヤップさんがなぜ、日本の舞台に携わるようになったんでしょうか。

トゥイを演じ終わったとき、「もうこの作品と関わることはないだろう」と思ってたんですけど、プロデューサーのキャメロン(・マッキントッシュ)が「UKツアーのレジデントディレクターをやってみない?」と話をくれたんです。当時僕は若くて、イギリスなんて一度も行ったことがなかったのに、そんな僕が海を渡ってダブリンやマンチェスターでUKツアー公演のレジデントディレクターをすることになった。あとは流されるまま(笑)、世界のほかの都市での公演もやることになり、その1つが2012年の東京公演でした。東京で「ミス・サイゴン」をやったときに東宝の方々と知り合って、雑談の中で「いずれ僕も日本で演出をしてみたい」とポロッと口にしたら、1年後くらいに「ゴースト」の演出の話をいただいて。「ゴースト」でよりたくさんの舞台関係者と出会うことができて、今に至るわけです。

ある決断が演出家としての転機に

──日本や世界各国で演出を続ける中で、ご自身にとって転機となる瞬間はありましたか?

僕は現場の人たちが好きだし、みんなと良い仕事をしていきたいという思いでずっとやってきました。でも、この5年ほど、「自分はどう思うのか、世界をどう見ているのか」「自分に対して正直であるか、自分に誠実に行動できているか」ということを考え始めるようになりました。僕にとってのブレイクスルーは、おそらく「ミス・サイゴン」の演出をしていたとき。「ミス・サイゴン」は本当に好きな作品でしたし、ローレンス・コナーの新演出版も素晴らしいと思ってやってきたけれど、あるとき「もうこれではなく、自分の作品を作りたい」と思ったんです。それでオーストラリアに戻り、自分の演出でいくつか舞台を作って、その後、日本で「ゴースト」や「ジョセフ」(編集注:新型コロナウイルスの影響で開幕直前で公演中止になった)を手がけることになりました。キャメロン・マッキントッシュ・カンパニーを去るという決断には勇気が必要でしたが、そうすることで、自分が今すべきことに向き合えるようになったと思います。

──2019年に上演された西川大貴さん主導の日本の若手によるオリジナルミュージカル「(愛おしき)ボクの時代」に、ヤップさんがスーパーバイジングディレクターとして参加されたのも、それが“自分がすべきこと”の線上にあったからですか?

そうだと思います。大貴とは「ミス・サイゴン」(2012・2014年公演)のときにラーメン屋でよく話をしていました。彼は演技も歌唱も脚本もできてオールラウンダーとして活躍できる人材。僕も何かしら協力したいと思っていましたし、エキサイティングな企画だと感じたんです。また、彼だけでなく、日本のミュージカル俳優たちから「日本のオリジナル作品が少ない」という話を聞いていて。日本でミュージカルが盛んに上演される中で、西洋の作品が主流と言えども、オリジナルの作品が増えていくのは必要不可欠なこと。日本人の目線で現代日本の人々に向けた作品を作るのは大事なことだと思っています。

コミュニケーションで練り上げた「ゴースト」

──ヤップさんは日本でミュージカルを演出するとき、文化的な背景の違いから難しさを感じることはありますか? また日本人の観客にどのように寄り添って作るべきかと考えることはありますか?

僕が「ミス・サイゴン」のカンパニーに受け入れられやすかった理由の1つは、僕が外国人だけどアジア人の背景を持っているということだったと思います。とはいえ日本とオーストラリアでは文化が違いますから、よくキャストやスタッフの人たちと食事に行って、そこで日本人の習慣や考え方を学んでいましたね。あとは演出家として常に重視したのは物語の部分。どんな作品をやるにしても、「ゴースト」なら“死と向き合う”というような世界共通の、人種や文化を超えたものがある。まさにそれを、僕は演劇を通して伝えたいと思っていて。演出家にとって一番大事なのは、観客に何を伝え、何を届けるかということ。観客が劇場を出るときに何を持ち帰れるかということを考えなければならないんです。また、日本人が観て納得できるものを作りたかったので、通訳・翻訳の方や俳優に「どう思う?」「このシーンは君の目にはどう見える?」としつこく聞いて、話しながら微調整をしていきました。どの国であれ、観客に違和感を与えず、きちんと伝わるものになるよう、カンパニーのメンバーと対話し、練り上げるようにしています。

──昨今、日本では“ミュージカルブーム”だと言われていますが、そういう熱量を客席から受け取ることはありますか?

それは僕が10年くらい前に日本に来たときから変わっていないと思いますね。当時、僕は日本のファンの熱狂ぶりにとても驚いたんです。客席からの熱気はもちろん、公演後の出待ちの行列を見て「すごいな」と。これは僕が日本で仕事をするのが好きな理由の1つでもあるんですが、観客のミュージカル愛、舞台に関わる役者さんへの愛がすごく伝わってくるんです。業界の変化で言うと、やはり若い世代がミュージカル界にどんどん現れることによって、彼らの考え方や芝居との向き合い方から生まれる演劇があるんだなと感じています。何度も大貴のことを言うと、彼は恥ずかしがるかもしれないけど(笑)、大貴はとても良い例。はっきりとしたアイデアを持っていて、実際に自分で脚本を書くことで、いろいろな変化を生んでいます。どこの国にも言えますが、演劇界が変わるためには、書き手が増えていかないといけません。新しいアイデアを持った書き手が出てくることによって、演劇界そのものが活性化されるんだと思います。

ミュージカルの、ほかのジャンルにない高揚感と世界観

──ヤップさんはミュージカルのどんなところに魅力を感じていますか?

こんなに長年関わっているミュージカルを、今でも愛し続けている理由……たくさんありますが、やっぱりミュージカルの魅力は音楽と歌。その音楽や歌が、ストーリーと登場人物の感情とうまく合わさったときに得られる感動というのは、オペラやストレートプレイ、映画のそれとは比べものにならないです。まったく違うものが、ぐわっと湧き上がってくる。それが僕にとっては、何よりも魅力的ですね。あと舞台美術や照明で作り出されるミュージカルの世界観も、映画やオペラにはないものだと思います。舞台上に立ち上がるミュージカルの世界には今でもワクワクさせられます。Zoomを通して「ゴースト」の初日をシドニーで観たときも、幕が上がって照明が入って、セットが動く様子、森久美子さんが涙を流して演じている姿、観客が拍手を送っているさまに、僕は子供のように目をキラキラさせていました(笑)。僕はこういうパッションに導かれてここまで来たんですよね。最近では、日本の観客がスタンディングオベーションを送ってくださって、キャストがそれに応える様子を観るのが好き。そうやって喜んでいただけているのを観て、「良い仕事ができたんだな」と実感できています。

プロフィール

1967年、オーストラリア・シドニー生まれ。俳優・演出家。NIDA(ナショナル・インスティトゥート・オブ・ドラマティック・アート)とウエスタンシドニー大学で演劇を学ぶ。2007年から2014年にかけてのミュージカル「ミス・サイゴン」(オーストラリア、日本、韓国、アムステルダム、ウェストエンド)や、ミュージカル「マンマ・ミーア!」10周年記念ツアー版の演出補を手がける。日本では「ミス・サイゴン」のほか、2018・2021年にミュージカル「ゴースト」の演出、2019年にミュージカル「(愛おしき)ボクの時代」のスーパーバイジングディレクターを務めた。近年の演出作品に「JESUS WANTS ME FOR A SUNBEAM」「DOUBLE DELICIOUS」など。2017年には「DIVING FOR PEARLS」の演出でBroadway Regional Awardの最優秀演出家賞に輝いた。

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