中井美穂 めくるめく演劇チラシの世界
serial number『All My Sons』
毎月連載
第23回
serial number『All My Sons』チラシ(表) 撮影:大村祐里子
これまで何度も上演されてきたアーサー・ミラーのデビュー作『All My Sons』。その新訳、演出、さらにチラシのデザインも手掛けたのがserial numberの詩森ろばさん。コロナ禍の中で、いち早く演劇を守るための活動に奔走してきた人でもあります。この状況下で生まれたチラシについて、作品を上演することについいて、うかがいました。
中井 serial numberのチラシは、以前の風琴工房時代からずっと詩森さんご自身が手がけてこられたのですね。
詩森 はい。自分のところのチラシをやっているのと、あと鵺的さんは、旗揚げからずっとチラシを作っています。よその劇団の演出をやるときも、宣伝を一緒にやることがありますね。
中井 もともとデザインを勉強されていたわけですか?
詩森 いいえ。まったくの独学で。演劇をやっていなかったら広告やデザインの仕事がしたかったんです。「自分の劇団なら他人に迷惑をかけないから」とチラシづくりをはじめて。今回の『All My Sons』は大きな公演だからデザイナーさんに託そうかとも思いましたけど、結局自分で作っちゃいました(笑)。
中井 アーサー・ミラー作品の翻訳、演出、さらにチラシもご自身で手がけられている。私はチラシも演劇の一部だと思っているので、観客が作品を観る前からトータルに世界観を提示できるというのはすごく大きなことだな、と思います。
詩森 おっしゃるように、コンセプトを自分で表現できるのはいいですよね。
中井 これまでこの連載でデザイナーの方にお話を伺っていると、チラシっていちばん最初に作る媒体ですよね? だからこそ、劇作家の方が数行の構想しかない段階でチラシについて話し合うことで、戯曲を書くヒントになるという話もよく聞くのですが。
詩森 それはほかの劇団のチラシを手がけるときに、言われることがありますね。自分の劇団ではチラシに作品が影響を受けるということはないかなあ。ただ、やはり他の団体のチラシを作るときのほうが、宣伝媒体としてわりきった仕事ができる。お客さん目線で「かっこよければいい」と思えますね。自分のところはより強くコンセプトを考えてしまうから、コマーシャルという意味ではいつも成功するわけではない。鵺的さんのチラシのほうがキャッチーだな、と思ったりします。
中井 そうやって客観的に捉えていらしても、やはりご自身の作品では話の芯にあるものをビジュアライズして届けたいという思いが強い?
詩森 というよりただただ単純に、チラシを作りたい(笑)。趣味ですね。アーティストとしてこだわるというより、自分がとってもやりたいから、自分の劇団でやらせてもらっている感じです。
チラシから表現したかった
母と子の関係性
中井 今回は仮チラシのメインビジュアルが印象的なもので、本チラシの裏面にも使われていますね。このイメージはどこから?
詩森 この物語は、亡くなった弟の記念樹であるりんごの木が倒れているところから話がはじまります。家族が抱えている秘密があって、その象徴としてこの木が登場する。それと、部品工場のミスで戦闘機が墜落して21人が亡くなっている。それでりんごの木の根元に飛行機が埋まっているというものにしました。
中井 これはどなたが描かれたものですか?
詩森 販売されているイラストデータで、根が描かれているリンゴの木があって、ピッタリだなと思ったので、それを購入して作りました。本チラシだったらイラストレーターさんに描きおろしてもらうところですが。コロナでチラシの撮影ができなかったので、なるべく早く仮チラシを出したくて。とにかくこれで本チラシができるまでの1か月をしのごう、と。
中井 そういった対応がすぐできるのは、ご自身が作っていらっしゃる体制ならではですね。
詩森 そうなんですよ! ちょっとしたものを作るときにさっとできる。それはうちのような小さなバジェットで、かなりの部分を劇団メンバーがやらなくてはいけない状況だと、結局都合がいい。
中井 本チラシの写真は、全員揃って撮りおろしたものですか?
詩森 そうです。やっぱり別撮りだと印象が違ってきてしまうんですよね。どうしようかな、と思いましたが全員に集まってもらいました。
中井 『All My Sons』という作品は、一般的にはお父さんと息子の話という印象が強いですが、このチラシはかなりケイトに比重が置かれていますね。
詩森 神野(三鈴)さんありきで進んできた企画だからというのもありますけど、日本で上演するにあたってケイトという人の存在はとても大きいなと思ったんです。母性には無償の愛という美しい面と、子供を絡めとる束縛という面がありますよね。
キリスト教的な世界観では、父と息子の葛藤が中心になると思うんですが、日本では母と息子の関係も同時にピックアップしないと成立しない気がしているんです。この物語の母が死んだ息子ばかりを見ていて、現実を見ていないなかで一家が崩壊していく。父親が息子に含まれてしまうような日本独特の土壌もあります。なので意図してこういうビジュアルにしました。
中井 なるほど。
詩森 この写真の元になったのは、ケーテ・コルビッツという画家の絵画です。第一次世界大戦で息子を亡くして真っ黒い絵を描くようになった人。彼女は「死んだ子どもを抱きかかえる母」というモチーフを彫刻でも絵でも繰り返し用いている人です。ケイトと同じ、戦争で息子を失ったお母さんなので、その絵をチラシにしたいなと思いました。
中井 撮影のとき、役者の皆さんにはどう演出を?
詩森 個々人への演出はとくにつけていません。ただ絵を共有して、全員に説明はしました。そしたら皆さん、いい役者さんなのですごく反応してくれて。神野さんはコンセプトに全面的に賛同してくれて、その気迫が写真にも表れています。大谷(亮介)さんは、説明したら「わかった」と言ってくださって、「一瞬でこんなに変わる?」というくらい表情から何からすべて変わって、本当にすごかったです。
中井 非常に象徴的な図式ですよね。
詩森 有名な戯曲だからこそ、私は『All My Sons』をこう作ります、とチラシで宣言できているかなと思います。
演出家自ら
翻訳するということ
中井 今回の『All My Sons』は、日本で上演されるとき、タイトルがその時によって少しずつ違いますね。
詩森 「みんなわが子」というタイトルがいちばんポピュラーかな。私は読めば読むほどこれは原題のほうがいいなと思って、そのままにしました。
中井 訳す人によって、作品の印象は大きく変わりますよね。
詩森 私自身は1行1行読んで、ひねらず誠実に訳したつもりですが、翻訳者の持つ感覚はやはりどうしてもすごく訳に影響するなと思います。先行作品を見て「素敵だな」というところもある一方、「どうしてこうなったんだろう?」「本当にこう書いてあるのかな」と思うこともあって、原文にあたると、解釈の幅があるなと感じたりして。なので自分の解釈に寄せて訳したということもありました。全体に関していうと、この作品はけっこう敬語で話す訳が多い。でも、原文でも丁寧語は使っていないし、対等だからこそ踏み込んだ話ができるアメリカ的な価値観があるな、と思ったんです。敬語にしちゃうとむしろ失礼なかんじになったりして。だからですます調は使いませんでした。
中井 そういった解釈一つひとつが作品の見え方を変えていきますね。たとえば、亡くなった弟の恋人であったアンがすぐに兄クリスと結婚しようとするところは、これまで「みんなわが子」を見てきた中で、いつも「もう少し丁寧に描かれていたらもっといいのに」と思っていて。
詩森 アーサー・ミラーの初期の作品なんですが、アンの行動原理は、いまだに解決していないと言われているんですよ。だから、今回そこに答を出すというのが、わたしの一つの目標でもあります。
中井 戯曲って人がしゃべる言葉で紡いでいくわけですから、それを生み出せる人──劇作家がやったほうが、会話劇としてちゃんと成立するような気がします。
詩森 劇作家がやるべき仕事なのかもしれないなとは思います。あるいは演出家か。だから小川絵梨子さんのような形はとてもいい形だと思う。演出家は戯曲の解釈もしなきゃいけないから、今回は翻訳を通じて一個先に仕事ができた感じがありました。私自身は英語の専門家というわけではないですけど、最後はネイティブな友人に見てもらって、自信を持ってお出しできる訳になったかなと思います。
この状況のなかで
演劇を上演するということ
中井 いま、このコロナ禍のなかで演劇をやることについては、本当にたくさんのハードルがありますよね。この作品についても、当然上演するかしないかというところから議論を重ねられたのではと思いますが。
詩森 そうですね。でもやっぱり、神野さんがやると言ってくれて、シアタートラムが貸してくれる限りはやろうと。神野さんは、演劇を、舞台を愛する気持ちが本当に強い人。気迫がすごくて、だから俳優もみんな神野さんについていく、ということになりました。もちろん客席が半分になるから、どう考えてもペイはしません。その分、他からお金を集めてでもやるしかない。もちろん慎重に、稽古場と劇場のリスクを最小限にして、ということができるのならやるべきだろうと。
中井 観客としても、以前ほど本数を観られない分、これまで以上に真剣に作品に向き合っているように思います。
詩森 その分、お客様の見る目も厳しくなっていますよね。そんななかで、これは「いまやる価値のある戯曲です」と言える作品ではあります。ちいさな隠しごとが大きな悲劇を生むという話は、政府の隠蔽がさまざまな問題を起こしている社会に住んでいる私たちにとって内容的にもいま世に問うべきものになっていると思います。
中井 観る側としても厳選して観に行くから、いい作品が観たい、という気持ちは強くなっている気がしますね。
詩森 戯曲については自信を持っています。もちろんこのすばらしい戯曲をどう演出するかが大切ですけど。演出に関していえば、演劇の、役者の力を信じてシンプルにやろうとおもっています。当然、この状況下でリアルな判断をするところはありますよね。たとえばキスシーンをどう表現するかとか、接触するシーンを少なくしたり……。そこは、作品にとって絶対必要なところと、やらなくても成立するところとを線引きしていくしかない。
中井 そうですね。演出が確実に影響を受けていく。チラシも、これまで考えられなかったけれど日程が入っていないもの、チケット発売未定の状態で撒かれるものが増えています。
詩森 今作に関しては、いつもより少し遅れるくらいで発売をはじめたのですが、入金はギリギリでもいいですよという形をとりました。でもお客さまは皆さん、振り込んでくださる。
中井 それって、応援の気持ちですよね。
詩森 そう。だからほんとうにこういうお客さまは大切にしないと、と思うし、思いに応えて公演をできるだけ安全に行いたいなと思います。……一つひとつ、演劇を守っていかないと。そのために稽古場でも劇場でもできる対策はすべてやる。取り巻く環境が悪いからといって、アートの場合はそれが必ずしも不幸とは限らない。しっかり考えてしっかりやることをやって、それでも上演が無事にできるかどうかは運次第という面があります。10月に公演ができること、この作品で観客の皆さんにお会いすること。それが最大の願いです。
取材・文:釣木文恵 撮影:源賀津己
作品紹介
『All My Sons』
日程:10月1日(木)~11日(日)
会場:シアタートラム
作:アーサー・ミラー
翻訳・演出:詩森ろば
出演:神野三鈴、田島亮、瀬戸さおり、金井勇太、杉木隆幸、熊坂理恵子、酒巻誉洋、浦浜アリサ、田中誠人、大谷亮介
プロフィール
詩森ろば(しもり・ろば)
劇作家・演出家。宮城県仙台市生まれ。1993年、劇団「風琴工房」旗揚げ。以後すべての脚本と演出を手掛ける。2013年『国語の時間』により、読売演劇大賞優秀作品賞受賞。2016年『残花』『insider』により紀伊國屋演劇賞個人賞受賞。2017年『アンネの日』そのほかの成果で芸術選奨文部科学大臣賞新人賞受賞。2020年映画『新聞記者』により日本アカデミー賞優秀脚本賞受賞。2018年より劇団名を風琴工房からserial numberに変え活動している。
中井美穂(なかい・みほ)
1965年、東京都出身(ロサンゼルス生まれ)。日大芸術学部卒業後、1987~1995年、フジテレビのアナウンサーとして活躍。1997年から「世界陸上」(TBS)のメインキャスターを務めるほか、「鶴瓶のスジナシ」(CBC、TBS)、「タカラヅカ・カフェブレイク」(TOKYO MXテレビ)にレギュラー出演。舞台への造詣が深く、2013年より読売演劇大賞選考委員を務めている。