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小沢健二の「個」は普遍に至るか? imdkmの『So kakkoii 宇宙』評

リアルサウンド

19/11/29(金) 7:00

 小沢健二による13年ぶりのアルバム『So kakkoii 宇宙』を今年きっての話題作と呼ぶことに異論はあるまい。その評価についてはさておいて、とりあえず作品に耳を傾けてみる。再生してまず耳を捉えるのは、リード曲「彗星」の、ホーンセクションやストリングスを従えた多幸的でゴージャスなアレンジだ。アレンジのバラエティも含めて、多くの人が『LIFE』を引き合いにだしたくなる気持ちはわかる。

 面白いのは、16ビートの軽快なグルーヴを軸にしながらも、歌にしたがって変則的に伸び縮みする小節。ポップミュージックの常道として、4の倍数に相当する小節数で展開する、という暗黙のルールがある。それをあえて逸脱することによってリスナーの注意を惹く工夫は珍しいわけではなく、オザケンだってよくやってきた。例はいろいろあるけれど、わかりやすいものでは、「強い気持ち・強い愛」はAメロが7小節単位で反復する。

(関連:小沢健二「彗星」を次世代のリスナーはどう聴いた? 未来の少年少女たちが受け取ったエール

 としても、本作は妙な逸脱がとかく多い。楽器の編成から見ても「強い気持ち・強い愛」を彷彿とさせる「彗星」は、Aメロが7小節単位で構成上も「強い気持ち・強い愛」を踏襲しているかのよう。しかし加えてこの曲、サビは3小節単位で進む。「流動体について」も改めて聴くと小節のグルーピングが妙で、Aメロは4小節、3小節、2小節、4小節という具合にフレーズが分かれている。6/8拍子を軸に4/4拍子がところどころクロスする「いちごが染まる」はリズムのニュアンスの変化がここちよい一曲だが、ここでも4小節、5小節、4小節の変則的なグルーピングが登場する(しかもそれが反復する)。

 一呼吸おいてもよさそうなところで、たたみかけるように次のフレーズが登場する。このように余剰や不足、先走りを抱え込みながら突き抜けていく歌がR&Bやソウル的なアレンジと組み合わさることで、奇妙な瑞々しさを放っているのが印象的だ。定型の力をこれでもかと振り切り、とても濃厚な「個」が際立つアルバムとなっている。Adobe Illustratorで自らデザインしたというアートワークにも、オザケンの「個」がみなぎっている。

 そう考えると、いかにもオザケンでござい、といった『LIFE』期ふうのポップスよりも、「失敗がいっぱい」や「シナモン(都市と家庭)」のような、親密さを濃厚に漂わせたマシンファンクこそしっくりくる。また、「彗星」で称えられるような、世代を越えてなお暮らしに脈々と生き続けるクリエイティビティには、『Eclectic』のハイファイさやアーバン志向とも異なる、簡素だが繊細に組み上げられたこれらのベッドルーム的なビートこそ、ふさわしいだろう。

 しかし気になるのは歌詞の距離感だ。アルバムを再生するといきなり〈そして時は2020/全力疾走してきたよね〉とこちらに向かって距離を詰めてくる。〈よね〉と言われても。この〈よね〉が通じる人以外に言葉を伝えようなんてつもりはなさそうだ。

 本作におけるオザケンは、徹頭徹尾見る側であり語りかける側だ(ちょうどこんなレビュー記事も出たところで、非常に面白く読んだ/参考:文春オンライン)。耳を傾ける側ではぜんぜんなさそうに思える。見たものにたかぶって〈見せつけてよ〉と願望をおしつけ(「薫る(労働と学業)」)、〈君に言わずにはいられない〉(「高い塔」)と語りだす。

 そこに「言葉が届かない」「耳を貸されない」かもしれないという躊躇がなさそうな様子は奇妙なほどだ。「伝わらないかもしれない」という不安を払いのけるかわりに出てきたのがアルバム冒頭の〈よね〉だったのかもしれない。「だよね~」と言って「そうそう」と言ってくれる人にだけ語りかければ、もとよりコミュニケーションの不安など前提にしなくともよい。〈誤解はするもの されるもの〉(「失敗がいっぱい」)という達観も陳腐に思えてくる。

 また、本作に出てくる「僕」と「君」は対等な二者ではない。「まなざす-まなざされる」であれ「語りかける-語りかけられる」であれ、うっすらと親子関係や家族関係のような権力構造が重ねられている。そこがいちばんの問題だ。相対化することがもっとも難しい権力の不均衡を背後に隠しながら〈見せつけてよ〉とまなざしを行使し、〈言わずにはいられない〉と言葉を押し付ける。

 ならば、並行宇宙のモチーフを援用しつつ決断することに対する逡巡をにじませる「流動体について」や、〈友愛の修辞法は難しい〉と漏らす「シナモン(都市と魔法)」のほうがまだいい。実際には、〈友愛の修辞法〉の困難さを迂回して、むしろ友敵のラインをほのかに引く〈よね〉の力に落ち着いてしまったのだけれど。

 『So kakkoii 宇宙』は良かれ悪しかれオザケンの「個」を反映したアルバムだ。構成の面でも言葉の面でも。その限りでおもしろい。しかし「個」が普遍に至るような音楽的・詩的なマジックはないし、むしろ自らそうした普遍に背を向けているようなフシさえ感じられる。このアルバムが「宇宙」の単語を冠しているのは皮肉としか思えない。(imdkm)

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