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エンジニアが明かすあのサウンドの正体 第13回 ECD、RHYMESTER、PUNPEE、長谷川白紙らを手がけるillicit tsuboiの仕事術(前編)

ナタリー

20/2/17(月) 17:00

illicit tsuboi

誰よりもアーティストの近くで音と向き合い、アーティストの表現したいことを理解し、それを実現しているサウンドエンジニア。そんな音のプロフェッショナルに同業者の中村公輔が話を聞くこの連載。今回はA.K.I. PRODUCTIONSやキエるマキュウなどのDJとしても活躍し、ECDと多数のアルバムを共作してきたillicit tsuboiに、彼が拠点としているRDS Toritsudaiで話を聞いた。RHYMESTER、PUNPEEといったヒップホップ勢をはじめ、ホフディラン、SUPER STUPID、CHEHONなど多彩なアーティストの作品のエンジニアリングを手がけるillicit tsuboiの仕事のスタンスとは。

ヒップホップをミックスできるエンジニアがいなかった

──illicit tsuboiさんのお父さんはGSのバンドマンだったそうですね。

はい、カルトGS系で知ってる人しか知らない感じのバンドでしたけど。家にレコードがたくさんあって、寝ても覚めてもずっと音楽がかかっていたので、そこはかなり影響を受けていると思います。

──なんというバンドをやっていたんですか?

ザ・クローズというバンドで、目黒の不良たちのコミューンから音楽を始めたらしいです。その中にザ・モップスや鈴木茂さんもいたって話で。「ジミヘンのカバーを日本で最初にやったのは俺だ!」と豪語していたので、これはさぞかしすごい音楽をやってたんだろうなと思って聴いたらムード歌謡でした(笑)。1968年に「愛しているから」という曲でデビューしたんですけど、その頃はムード歌謡はもう古くて、それを取り入れたGSは逆に新しかったし誰もやってなかったんですよ。だけど、誰もやってなさすぎてシカトされたという(笑)。

──あははは(笑)。

ムスタングというバンドのプロデュースでは尖ったこともやっていたのに、自分のバンドではそういう方向にはいかなかったみたいで。そういう親だったので、レコードのコレクションもThe Beatlesやジミヘンのようなサイケから、チェット・アトキンス、The Ventures、The Shadowsみたいなオールディーズまであって。あと、うちの叔母がURC(※アングラ・レコード・クラブ。岡林信康やはっぴいえんどなどをリリースしていたレーベルで、当初は会員制)の会員だったので、学生運動の頃のフォークも物心がつく前から自然に聴いていました。

──自分から能動的に音楽を聴き始めたのはいつ頃ですか?

15歳の頃、1985年ですね。親がYellow Magic Orchestraを聴いていた流れでテクノが好きになって、そこからヒップホップに入っていきました。機材は全然持ってないから、カセットテープで再生と録音を“カチャッカチャッ”って繰り返してループを作る遊びをやったりして。17歳の頃にターンテーブルを使ったりトラックを作ったりするようになり、コンテストに出て優勝して、そこから徐々に本格的に活動するようになりました。

──それはA.K.I. PRODUCTIONSですか?

そうですね。ただA.K.I. PRODUCTIONSではあくまでもトラックメーカーという感じで、それと並行してKCDとやっていたGOLD CUTというDJユニットの活動のほうがメインだったかな。GOLD CUTは2人でいろんな音楽をカットアップして、ずっとミックスをしていくユニットでした。その頃にレアグルーヴのムーブメントがあって、ビートジャグリング(※2台のターンテーブルを使って、2枚のレコードでビートを構築するテクニック)しながら20分くらいのショーケースを作るということをやってました。そのユニットでは自分たちの作品は出せなかったんですけど。

──そこからどういう流れでエンジニアになったんでしょうか?

A.K.I. PRODUCTIONSの作品をミックスするためにたまたまこのRDS Toritsudaiに来たんですよ。ここは練習スタジオなんですけど、一角にミックス作業ができるような場所があって。そのときにここで働いていたアシスタントが、nice musicやmicrostarのメンバーの佐藤(清喜)くんで、彼と一緒にスタジオに来たお客さんの作品を録るようになったんです。それで、自分で録音したらやっぱり自分でいじりたくなるじゃないですか? そのうち、ここの機材は自分のだけになって、僕以外の人は使わなくなっちゃって。乗っ取りみたいなもんですね(笑)。

──誰かにミックスを依頼しようとは考えなかった?

その頃はヒップホップをミックスできるエンジニアがいなかったんですよね。メジャー系の人に頼むと、ちゃんとはしてるんだけどドラムが引っ込んでたりして、結局自分でいろいろ注文をつけないといけない場面が多くて。だったら見よう見まねで自分でやったほうが早いと思い、最初は上原キコウさん(※くるり、UA、サニーデイ・サービスなどの作品を手がけたエンジニア)にあれこれ聞きながら始めました。だからアシスタント経験はなくて、基本的に独学です。それがわりと評判がよくて仕事がくるようになりました。

──初めてミックスしたのは自分の作品ですか?

初めてミックスをしたのは……ちょっともうどれだか忘れちゃったな。その頃はインストのトラックだけをリリースすることはまずなくて、必ずラップが乗ってたので誰か名義ではあると思うんですけど。自分で作ったトラックの上に誰かのラップを録音して、それをミックスしたのが最初だと思います。

BUDDHA BRANDのデモテープを聴いて落ち込む

──BUDDHA BRANDの「人間発電所」はその頃に手がけた作品ですか?

そうですね、1995年かな。本格的にミックスをやるようになったのがその頃で、かせきさいだぁの1st(1995年リリースの「かせきさいだぁ≡」インディーズ盤)なんかもやってましたね。BUDDHA BRANDを知ったのは、ECDさんがたまたま彼らのデモテープを持っていたのがきっかけでした。僕がA.K.I. PRODUCTIONSでアルバムを作り終えて盛り上がってるときに聴かせてもらったんですけど、そのデモテープが本当にすごくて俺ら落ち込んじゃって。その話が向こうに伝わって、ぜひ一緒にやりたいと言われて、N.Y.から帰って来たときにこのスタジオでセッションを始めました。彼らは8割がた英語でしたね。全然日本語しゃべらない。すごいバイブスでした。内容も面白かったし、とにかく衝撃でしたね。

──今まで聴いたことのないようなクオリティのものをミックスするのはすごく大変そうですが、どういう意識でやったんでしょうか?

彼らのイメージがはっきりあったんですよ。持ってきたリファレンスもあったんですけど、それより録音したやつのほうが全然よくて、「リファレンスとは違うけどいいんじゃない?」って言いながら進めていきました。みんなで面白いと思うものを作り上げることができて楽しかったですね。

──ECDさんとも、その頃からガッツリ一緒にやってましたよね。

さっき言ったコンテストに出ていた頃に、同じコンテストに出てた中の1人がECDさんだったんですよね。ECDさんのほかにはRHYMESTER、DJ KRUSHとか、GAKU-MCが同じ時期から活動してたかな。そのちょっとあとにスチャダラパーが出てきて。ECDさんは僕がこのスタジオに入ったのを知って来るようになって、その頃はほぼ毎日会ってました。彼もいろんな音楽を通ってきてるんですよね。いきなりヒップホップをやったわけじゃなくて、ロックから何からいろんな要素を持っていて、作品として表に出しているのはヒップホップだけど、裏で話すのは全然違う音楽だったりして。そこが僕と通じ合っていたから話が早くて一緒にやっていましたね。いろんな音楽好きだけど、現在はヒップホップだよねって感じで。

──当時はどんな機材を使っていたんでしょうか?

その頃はアナログもデジタルも混在してる感じで、ソニーのスタジオに行ってアナログのテープで録ったものを、SONY PCM-3348(デジタルテープMTR)にトランスファーしてミックスすることもありました。このスタジオでは、アナログだとFOSTEXのE16を使ってました。デジタルはTASCAMのDA-88かな。Hi8のビデオテープを使ったデジタルMTRで、それを4、5台同期させて。AVID Pro Toolsは出始めの頃は音があんまりよくなかったので、それを使ってる時期が長かったですね。

遊ぶことから始まったキエるマキュウ

──MAKI THE MAGICさん、BUDDHA BRANDのメンバーでもあったCQさんと始めたキエるマキュウの活動はどういう流れだったんでしょうか?

BUDDHA周辺とは仲良かったんで、このスタジオに来て作業するにようになって。あそこは1時間作業して、あとは10時間飲みに行くみたいな人たちの集合体なんですよ。MAKI THE MAGICさんはもともとA&Rをやっていたんですけど、このスタジオに来て音楽制作をしているという既成事実さえ作っちゃえば、寿司を食べに行っても経費で落とせるみたいなことを繰り返していて(笑)。音楽のことは信頼してもらってるので、特に細かいことを話したことはなくて、基本的に遊ぶことから始まったユニットでした。今じゃ考えられないですよね。朝5時に終わっても「行こうよ、行こうよ」って飲みに連れて行かれましたからね(笑)。

──エンジニアをやりながらトラック制作もずっと並行してやっていたんでしょうか?

ヒップホップ系のエンジニアでミックスだけやっている人ってほぼいないんですよ。トラックを制作する中で、これをいじれるのは自分しかいないと思ってミックスとかを始めて、それに共感したアーティストからオファーがあって生業として成立してる感じで。だからその両方はずっとやってますね。

自分はバランスエンジニアではない

──「ツボイさんにミックスをお願いしたらビートがまったく違うものになって返ってくることがある」という噂を聞いたことがあります。

ビートが違う!? あーでも、「こっちのほうがいいかもよ」って言いながら2パターンか3パターン渡して、わりとそれが採用されることはあります。たぶん、そっちを選ばざるを得ないようなアレンジに僕がしちゃってるんですけど。あと、「もとの音源なくなっちゃった!」とか嘘ついたり(笑)。

──今までお話を聞いてきたエンジニアと、だいぶ毛色が違う感じがします(笑)。

みんな真面目だなーと思いながらこれまでの記事を読ませてもらいました(笑)。「アーティストの意見を尊重して、気持ちよくクリエイトするために」とかみんな言うじゃないですか? 僕はそういうことは一切考えたことはなくて、「ちょっとそれはやりすぎでは……」ってアーティストに止められることが多いですね。自分はバランスエンジニアではないということは最初に伝えていて、今も昔も「『こんな音にして』って言われてもできないよ。違うものになっちゃうかもしれないけど、それでもよければ」と言ってOKしてくれる人としか仕事ないです。

──ミックスというよりリミックスに近い感じかもしれません。

そうなんですよね。リミックスは言いすぎかもですけど、でも曲の音よりも内容がよく聞こえなきゃダメじゃないですか。だからパッと聴いて「音いいね!」って言われちゃうようなミックスは僕的にはNGで、むしろ「音は悪いけど内容はいいね」と言われるほうが僕の中では合格なんですよね。もちろん音も内容もどっちもいいに越したことはないし、内容が超よかったらそれに負けないサウンドを提示する必要はあるんですけど、「テクニックよりセンスのほうが上を行かないと絶対ダメ」というのが僕の中で座右の銘としてあるので、そこだけは気を付けています。

機材よりもレコード

──「こういう音にしてください」とリファレンスを持ち込まれて作業することはないんでしょうか?

「普通にやったらこうなるってイメージはあるけど、そうじゃない感じにしたいから、むしろ僕に提示してほしい」と依頼されるケースが多いですね。レコードの量を見たらわかると思いますけど、引き出しは多いですから。引き出しが多すぎて、引用しても引用だと思われないんですよ。僕としては自分が引用したことを忘れて、オリジナルだと思うところまでいったら最高だと思っていて。それってある意味オリジナルじゃないですか。だからそうなるのを目指して毎日引き出しを増やす努力はしていますね。

──それはレコードを聴いて、エフェクトのかけ方を真似するとか?

そうですね、違うジャンルの音楽をとにかく聴いています。レーベルとか年代とか国を意識しながら聴くと、「ここはこういう音」というのがあるんですよね。例えばハンガリーだったら、あそこは国営のスタジオが1つしかないからすごく癖のある音がするんですよ。トータルのリミッターとコンプがアホみたいにかかっていて、ペコンペコンな音になっているんです。その面白さに気付いちゃったので、これは全世界制覇するしかないと思って世界中のレコードを買ってますね。

──レコードは何枚くらいあるんですか?

今はわりと減らしましたけど、一時期は4、5万枚くらいありました。普通のエンジニアはスタジオを作ったり機材を買ったりする方向にいくと思うんですけど、僕はレコードを買うのが順位として一番上になってますね。周りには「億のお金を使うんだったらスタジオ作ったほうがいいでしょ」って怒られましたけど(笑)。

──それだけ膨大なレコードの情報がツボイさんの個性にもなってるわけですよね。

そうなんですよね。ただちょっと計算外だったんですけど、年齢を重ねると忘れやすくなって、最近引き出し開かなくなっちゃって(笑)。頭の中にアーカイブとして保存されてるのはわかっているんですけど、そこにたどり着かないことが多くて。なので「こういう音楽あったよね」って人と話すことを大切にしています。もちろんその引き出しのビルドアップは今もしています。

──この仕事をやっていて、そんなにレコードを聴く時間があるのが不思議です。

自分でも不思議なんですけど、たぶんミックスする時間が短いんですよね。テクニック的にやる工程は決まっているので、始めたらそんなに時間がかからないんです。ただ、それがいいかどうか判断を下すまでの時間がすごくかかりますけど。「なんでそんなに時間かかってるの?」ってたまに言われるんですけど、「いや俺、作業自体はまだほとんどやってないよ」って。たぶんこれは曲を作る人に近い感じだと思いますね。

──自分の音にしようっていうよりは、毎回どういう音にしようかをイチから考えているということでしょうか?

そうですね。なるべくルーティンにならないように、基本はバラすところから始めてますね。僕はコンピュータ内部じゃなくて、外部のエフェクターとかミキサーを使ってミックスしていて、つなぐケーブルをトラックごとに変えるとか、ギリギリのところまでこだわってやっています。

The Anticipation Illicit Tsuboi

1970年生まれのエンジニア、プロデューサー、DJ、レコードコレクター。ロックおよびヒップホップ系サウンドエンジニア、サウンドクリエイターとして活躍する傍ら、ステージで観客をアジテートしたり、ターンテーブルを破壊したり火を付けたり、度の過ぎたヴァイナル愛によってレア盤を割ってしまったりと強烈なパフォーマンスを行うことでも知られている。長年にわたってアンダーグラウンドからオーバーグラウンド、表方から裏方まで多面的に活躍を続けている。

中村公輔

1999年にNeinaのメンバーとしてドイツMile Plateauxよりデビュー。自身のソロプロジェクト・KangarooPawのアルバム制作をきっかけに宅録をするようになる。2013年にはthe HIATUSのツアーにマニピュレーターとして参加。エンジニアとして携わったアーティストは入江陽、折坂悠太、Taiko Super Kicks、TAMTAM、ツチヤニボンド、本日休演、ルルルルズなど。音楽ライターとしても活動しており、著作に「名盤レコーディングから読み解くロックのウラ教科書」がある。

取材・文 / 中村公輔 撮影 / cherry chill will.

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