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『バンブルビー』意外な監督の人選が、『トランスフォーマー』シリーズにもたらしたもの

リアルサウンド

19/3/31(日) 12:00

 第1作から第5作『最後の騎士王』まで、足かけ10年にわたって製作されてきた、実写映画版『トランスフォーマー』。ハリウッド映画最大級となる200億円規模の制作費をかけた超大作シリーズである。そのなかから、黄色い車に変身できる人気のオートボット(正義のロボット生命体)が主人公となるスピンオフ映画が、本作『バンブルビー』だ。制作費は本シリーズの半分ほどだが、十分に超大作である。

参考:『バンブルビー』トラヴィス・ナイト監督が語る、アニメーターとしての経験が実写映画に活きたこと

 そして、この企画に監督として抜擢されたのは、あの『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』(2016年)を撮った、アニメーション監督のトラヴィス・ナイトだった。ここでは、この意外な人選が『トランスフォーマー』シリーズに何をもたらしたのか、彼の作風をもとに考察しながら、本作の存在意義についても述べていきたい。

 本作は80年代を舞台に、シリーズ第1作の主人公サム(シャイア・ラブーフ)と出会う前のバンブルビーが経験した知られざる出会いを描く。バンブルビーと友情を深める少女チャーリーを演じるのは、『トゥルー・グリット』(2010年)や、『スウィート17モンスター』(2016年)で強い印象を残し、『スパイダーマン:スパイダーバース』(2018年)ではグウェン・ステイシーの声を担当、モデルや歌手としても活躍し、本作の主題歌も歌っているヘイリー・スタインフェルドだ。

 『スウィート17モンスター』の役が部分的に継続しているように、チャーリーは学校で“イケてる”存在ではないが、自分の世界を持っていて、多くの観客が共感できるキャラクターだ。車を整備するのが趣味なのは亡くなった父親の影響で、彼の遺したクラシックカーがその存在の大きさを象徴している。彼女は仲のよかった父親の死が心の傷になっており、新しい恋人と家族を作ろうとする母親を認めつつも、自分のなかではやりきれない葛藤を抱えていた。そんな揺れるティーンの心情を、スタインフェルドがみずみずしく演じている。

 父親との関係といえば、やはりナイト監督である。トラヴィス・ナイトがCEO(最高経営責任者)を務めるのが、アメリカのアニメスタジオ「ライカ(laika)」。実物の人形を動かしながら1コマずつ撮影していく「ストップモーション・アニメーション」という手法で、あたたかみのある手づくりアニメ作品を制作してきた。そんなスタジオの前身となるアニメ制作会社が倒産の危機にあるとき、スポーツ用品の世界的ブランド「ナイキ」の創業者フィル・ナイトが、息子トラヴィスが働いている会社に手を差し伸べ、権利を買い取った。そんな経緯があって出来上がったのが「ライカ」なのだ。

 しかしトラヴィス・ナイト監督は、ただの経済的な意味での“おぼっちゃま”なだけではない。父フィル・ナイトは若い頃、神戸でオニツカ社(現・アシックス)の運動靴「オニツカタイガー」に出会い、アメリカでオニツカタイガーを販売したことがナイキの成功の礎(いしずえ)となっている。息子のトラヴィスはその縁あって、少年時代に日本に来て、日本の様々な文化に魅了されたのだという。それが、ただの異国情緒へのあこがれだけではない傑作『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』に決定的な影響を及ぼしている。

 『バンブルビー』が親子の文化的なつながりを描いているのは偶然である部分もあるのだろうが、トラヴィス・ナイト監督がそれを熱く表現できているというのは、必然的であるように思える。彼は、個人的にも日本へ何度も足を運び、黒澤明監督や宮崎駿監督作品に親しみ、日本への理解をさらに深めている。ちなみに、初めて鑑賞した宮崎作品は、宮崎監督の劇場初監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)であったという。

 本作には、崖に沿った道路を、フォルクスワーゲンの名車“ビートル”に変身したバンブルビーが、チャーリーたちを乗せながら警察車両とチェイスを繰り広げ、曲芸走行を披露する場面がある。それはあたかも、本シリーズのエグゼクティブ・プロデューサーであるスティーヴン・スピルバーグも激賞したという『ルパン三世 カリオストロの城』のなかの、ルパン三世の乗る小型車フィアット500が活躍する、同様のチェイスシーンを彷彿とさせる。ナイト監督がこのシーンを撮るにあたって、それが意識にないわけはないだろう。ゆえにこの箇所はナイト監督ならではの熱さを感じさせる。

 主人公バンブルビーはオートボットの兵士として勇敢な存在ながら、記憶を消失し臆病な性格となってしまい、大きな姿でいろいろなものに怯える姿が愛らしい。問題によって本来の力を発揮できないという意味ではチャーリーと同じで、このコンビは友情を深め試練を乗り越える度に成長し、自分の可能性に目覚めていく。

 ここで注目したいのは、声を出す機能を失ってしまったバンブルビーの感情表現だ。ライカ作品では、人形の動きによってそれぞれのキャラクターの心を表現してきたナイト監督だが、本作でのバンブルビーの動きはこれまでのものから飛躍的に繊細になり、観客の感情移入を誘う。これもまた、ナイト監督だからこそ可能になった部分であろう。さらに、数種類に変化するバンブルビーの顔の部分は、おそらく日本の文楽人形における、一瞬で移り変わる面を想起させるような演出が行われていてクールだ。

 そんなナイト監督が改変したという、丁寧な作りの脚本は、『トランスフォーマー』第1作のやり直しのようにも感じられる。それはあたかも、ときに大味だと言われるマイケル・ベイ監督のシリーズとは異なった、もう一つの“あり得た”実写版『トランスフォーマー』だといえるだろう。

 ベイ監督がこれまでに行ってきたのは、CG技術の発達と、『トランスフォーマー』シリーズだからこそ表現し得た、ダイナミックで未来的な映像表現である。「何が起こってるのかよく分からない」と揶揄されることがあるが、膨大な被写体が常に変化しながら動き続ける混沌とした映像世界は、人間の視認の限界に挑戦するような実験性を持っていた。

 対して、本作のアクションシーンの多くは映るものが整理されていて、非常に分かりやすい。その反面、優等生的で万人向けの、チャレンジの少ないものになってしまったという批判もできよう。その意味では、ベイ監督の異常ともいえる作風の凄さや特異性というものを、ここにきて再確認させられるのだ。

 しかし、本作はあくまでバランスよく、80年代のノスタルジーのなかで、繊細な若者の心情を写し取るところに主眼がある。それをしっかりと、自分の味も出しながら達成したナイト監督の手腕は評価されるべきであろう。本作が『トランスフォーマー』シリーズに、むしろ王道的な作風を与え、さらにその存在自体が、いままでのシリーズの魅力をも際立たせる。その意味で、本作はシリーズ全体にとっても紛れもなく成功作だといえそうだ。(小野寺系)

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