Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

コロナ禍の今、改めて考える“映画館で映画を観る”意義 前代未聞の休館を経験して

リアルサウンド

20/6/13(土) 12:00

 ようやっと、映画館の運営が再開された。

参考:相次ぐ大幅公開延期 その背景にある「満席にできないジレンマ」

 5月26日の緊急事態宣言の解除に伴い、休館していた全国の映画館が続々と営業再開を決めた。先週末には最大手チェーン、TOHOシネマズが首都圏でも営業も再開し、一部を除き全国の映画館が休業明けしたことになる。

 約2カ月も全国の映画館が休館に追い込まれたことは、この日本ではほとんど前例がない。戦争中でも映画館は営業していたくらいで、今回の事態は日本の映画産業にとって前代未聞の事態だった。

 とにもかくにも、まずは映画館の復活を素直に喜びたい。映画館が再開したことで、我々はあの特別な空間に再会できることになったのだから。

 とはいえ課題は多い。映画館は最大限の安全対策を行っているが、人々の不安感を払拭するには時間がかかるだろう。ソーシャルディスタンスを確保するため、座席販売数を大幅に減らしているので利益がほとんど出せないどころか、対策のためにコストも増えているので赤字がかさむ可能性すらある。

 筆者は、先週のTOHOシネマズ 日比谷の営業再開日に予防対策の取材をしてきたが、改めてその徹底した対策をおさらいし、映画館の安全性を共有したい。そして、その上で「映画館で映画を観る」とは現代社会でどんな意味があるのかを考えてみたい。映画館という場所がオンライン配信全盛の時代にどのような役割を果たせるのか、今こそ議論が必要な時だと思うのだ。

●徹底された3密回避策

「以前と変わらぬ安心感を提供できるよう、努めていきます」。

 TOHOシネマズ日比谷の福井支配人は力強く語ってくれた(引用:「以前と変わらぬ安心感を」 TOHOシネマズが首都圏でも営業再開! 徹底した感染予防対策を取材して – ぴあ)。TOHOシネマズの感染予防対策はその言葉を裏付けるには十分なものだ。

 感染防止には、密閉、密接、密集の「3密」を避けることが重要というのはすっかり定着したが、現在の映画館はその3つの密いずれも徹底して回避されている。

 まずは密閉についてだが、映画館は元々密閉空間ではない。疫病・感染症予防対策のため、興行場法で厳密に定められた換気能力を備えており、強制的に館内の空気を入れ替える仕組みになっている。都道府県ごとにその基準は異なるが、東京であれば、湿度の管理を厳格に行えるのであれば、25立米以上の換気能力が必要となる。TOHOシネマズ 日比谷で安全対策を案内してくれたマーケティング企画部長の平松氏によると、およそ30分あれば館内の空気は完全に入れ替わるそうだ。

 密接については、映画鑑賞中も一定の距離を保てるように座席を1席ずつ開けて販売している。日本の映画館では、応援上映などの特殊な形態をのぞいて、館内で声を発する人は少ないが、さらに距離を取ることで安全性を高めている。

 密集についてもロビーのチケット販売所や飲食物を扱うコンセッションでは2メートルの距離を取って並んでもらうように徹底。床に2メートルごとに目張りがされていた。

 そして、熱の高い人を事前に検知するため、AI検温システムを導入している。所要時間0.5秒で体温を測れるもので、精度はプラスマイナス0.4℃だそうだ。個人情報も一切取得していないとのこと。

 また、幕間時の清掃・消毒を徹底するため、従来よりも上映間の時間を長く取っている。そのため1日の上映回数は少なくなるが、現状は観客の安心感を獲得することを優先するようだ。

 スタッフは全員マスク着用、場合によってはフェイスガードも着ける。飲食を扱うスタッフはさらに手袋も着用するとのこと。

 TOHOシネマズの対応は、概ね全興連(全国興行生活衛生同業組合連合会)の発表したガイドラインに沿ったものだ。TOHOシネマズだけがこのように厳しい対策をしているのではなく、全国の映画館がほぼ同じ基準の対策をしていると考えて良いだろう。筆者は再開後のイオンシネマや地元のミニシアターも訪れたが、TOHOシネマズとほぼ同じ水準の対策を行っていた。

 映画館はそもそも感染症対策のための設備を持った空間なので、元々感染リスクは高くない。さらに上記のような対策を徹底しているので、現在の映画館における感染リスクは限りなく低いと考えてよいだろう。世の中にゼロリスクは存在しないが、これだけの対策をしてくれているのなら、筆者は個人的にはかなりの安心感を感じる。

 座席販売数の減少、上映回数も絞り消毒に時間を割き、消毒液など新たなコストも増えており、営業再開にこぎつけても経営的にはかなり苦しいはずで、営業再開したことで赤字額が膨らむという可能性すらある。しかし、それでも映画館は人々の安心感を取り戻すことを最優先に苦しいコストを支払っている。配給会社も映画館に客足が戻らなければ、有力な新作を公開することをためらうだろう。この状況を打破するためには、一人でも多くの観客が映画館に足を運ぶことが今はとにかく重要だ。

 人は科学的に合理的だというだけでは安心しない。TOHOシネマズ 日比谷の福井支配人は「ただ、徹底した対策をするだけでなく、しっかりと対策をしているところをお客様に見えるようにすることが大事」と語っていたが、これはとても重要なことだ。

 映画専門のリサーチ会社GEM Standardの調査(参考:映画鑑賞行動への自粛意識と営業再開に向けた意欲度)によれば、「映画館を危ないと感じる理由」は、映画館の強力な換気能力にもかかわらず「換気が悪そう」がトップで58%の人がそう答えている。映画館の換気能力が高いことを過半数の人間は知らないのだ。

 福井支配人の言うように、映画館の安全性と徹底した対策を見えるように周知することはこの不幸なすれ違いを解くために大変重要だ。そのためには、映画メディアもやや鬱陶しいぐらいに映画館の徹底した感染対策を訴えてもいいのではないだろうか。

●映画館のもたらす「豊かな有限性」は現代人に必要だ

Netflixアニメ映画『泣きたい私は猫をかぶる』(c) 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」製作委員会
 映画館が休館に追い込まれるのと反比例するように、ネット配信の需要が増大した。アメリカではユニバーサル・ピクチャーズのアニメーション映画『トロールズ ミュージック★パワー』が劇場を飛ばしてネット配信に切り替え、想定以上の成績を出したことで映画館の存在意義についての議論が噴出した。

 日本では、スタジオコロリドのアニメ映画『泣きたい私は猫をかぶる』が劇場公開を取りやめ、Netflixでの配信を選択した。大手映画館チェーンのAMCとユニバーサルが喧嘩するほどの大議論になっているアメリカと比べて、日本では静かなものだが、以前からくすぶり続けていた「劇場か、配信か」の議論を改めて浮き上がらせたのは間違いない。

 筆者は、今こそ「映画館で映画を観る」とはどういうことなのかについて考えを深める時期だと思っている。

 今回のコロナ禍によって、映画館だけでなくあらゆる施設が営業停止し、満足に活動可能な場所がオンラインだけになってしまった。この社会の全面的なオンライン化によって筆者は漠然とした不安を感じた。あらゆるものと接続させられているような、過剰な接続による不安。

 哲学者の千葉雅也氏が『メイキング・オブ・勉強の哲学』で、人の不安についてこんなことを書いている。スラヴォイ・ジジェクとジャック・ラカンを引用して、「何かが失われるから人は不安になるのではなくて、何かに近づきすぎて『欠如がなくなる』から不安になる、というのです。ラカンの精神分析によれば、人間にとって欠如は悪いものではなく、むしろ欠如が維持されている状態が必要なのです(P143)」

 千葉氏はさらに、無限に欠如が広がった状態も不安も引き起こすと語り、欠如を一定に区切る工夫が必要だという。反対に、現代社会は情報が多すぎて、あらゆるものと距離を取るのが難しく、欠如が不足しているので不安になる、そのためには接続過剰な状態から逃れるツールも必要なのだと言う。全面的なオンライン否定ではない。接続過剰なツールも情報収集のため必要だが、その中に切断可能な「小島」を作ることが大切だと語っている。

 そこから千葉氏は、紙の本の重要性が新ためて増している、なぜなら紙の本は「そのコンテンツを読むことしかできないような、究極の『単機能デバイス』(P147)」だからだと言う。

「何でも欲望を叶えてくれるような多機能なものは、かえって欲望を閉塞させてしまう。機能を限定することこそが、むしろ欠如の余地を広げるという意味で、欲望を活性化させてくれる」(P148)

 紙の本についての千葉氏の議論は、そのまま映画館にも適用できるのではないかと筆者は考えている。映画館では映画を観る以外の行為はできない。スマホの電源は切らねばならず、暗闇で視界をスクリーン以外に向けさせない。外界との切断性は紙の本よりも高いのではないか。

 Netflixは一つのエピソードが終わると(いや、エンドクレジットが終わらないうちから)せっかちに次のエピソードにつなげようとしてくる。レコメンドも際限なくメールで送りつけ、ずっとNetflixにつながっていろと誘惑してくる。それがなくても、スマホもタブレットもPCも多くのコンテンツに繋がりすぎる。その傾向はコロナ禍による全面オンライン化で一層強まった。

 これはあまりにも欠如がなさすぎる状態ではないか。欲望を取り戻すために、我々にはこの接続過剰を力強く切断してくれる外部の存在が必要だ。映画館は不安を解消し、欲望を取り戻させてくる有効なツールになりうると筆者は考えている。

 千葉氏の戦略に照らして言えば、接続過剰なツール「ネット配信」と、そこから逃れる切断ツール「映画館」を区別して使いこなすということだ。この2つは豊かな生活のための車輪の両輪なのだ。

 映画館の休館は、映画ファンに危うい片輪走行状態を強いるものだったのだと筆者は思っている。映画館というのは、画面が大きいとか音響が良いとかのスペックの問題だけに収まらず、接続過剰で不安な現代人を解放し、「豊かな有限性」をもたらしてくれる装置なのだ。そういう装置は、人が真っ当に生きるためには絶対に必要なものではないだろうか。(杉本穂高)

新着エッセイ

新着クリエイター人生

水先案内

アプリで読む