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音楽やダンスと同じ構造!? 『CLIMAX クライマックス』は観客を「今、この瞬間」へと没入させる

リアルサウンド

19/10/31(木) 12:00

 モニカ・ベルッチの、9分にも及ぶレイプシーンで映画界を震撼させた『アレックス』(2002年)や、東京のナイトクラブを舞台にドラッグディーラーの漂流する魂を描いた『エンター・ザ・ボイド』(2009年)、そしてセックスの一部始終を3Dで見せるという型破りな『LOVE【3D】』(2015年)など、作品を出すたびに受け手の倫理観をグラグラと揺さぶるアルゼンチンはブエノスアイレス出身の映画監督、ギャスパー・ノエ。彼にとって、前作からおよそ4年ぶりとなる新作『CLIMAX クライマックス』がついに我々のもとに届けられた。ベルギーとフランスの合作となるこの映画は、1996年に実際に起きた事件からインスピレーションを得て描かれた「ミュージカル・ホラー」である。

参考:『LOVE【3D】』ギャスパー・ノエ監督が明かす、“愛と性”を3Dで描いた理由

 雪の降りしきる、人里離れた廃墟に集まった22人のダンサーたち。彼らはとある有名な振付師のオーディションを無事通過し、もうすぐ始まるアメリカ公演のための、最後のリハーサルを行っていた。激しい練習の後、体育館のように広いその廃墟の中で、オールナイトの打ち上げパーティーを始めた彼らは、大きなボールに並々と注がれたシャングリラを浴びるように飲んでいる。しかしそのシャングリラには、何者かによって幻覚系ドラッグLSDが混入されており、次第にダンサーたちは我を忘れてトランス状態へと堕ちていくのだった。一体誰が、なんの目的でドラッグを入れたのか。隔絶された空間の中で、「理性」というリミッターを外された「集団」は、どのような行動をとるのだろうか。

 今さら説明の必要はないかもしれないが、LSDとは「アシッド」「バツ」「紙」「エル」などとも呼ばれる強力な幻覚剤のこと。服用すると、物体が歪んだり極彩色に輝いたり、聴覚が極度に敏感になったりしているうちに忘我の境地へ達し、信頼できるナビがいないと一気にバッドトリップに陥る厄介なドラッグとして知られている。オルダス・レナード・ハクスリーが著書『知覚の扉』(1954年)でメスカリンなどとともに紹介し、60年代のヒッピー~フラワー・ムーヴメントや、80年代のセカンド・サマー・オブ・ラヴといったカルチャーシーンに欠かせないドラッグとして広く出回った(ドアーズはそのバンド名を『知覚の扉』から拝借している)。

 「LSDを一服盛られるエピソード」と聞いて、筆者が真っ先に思い出したのはビートルズの「ドクター・ロバート」という楽曲だ。タイトルのドクター・ロバートとは、アンディ・ウォーホルとも交流の深かったニューヨークの医師、「スピード・ドクター」ことロバート・フライマンのことだが、作曲したジョン・レノンによれば実際に歌詞のモデルとなったのは、ジョンとジョージ・ハリスン、そして2人の当時の妻をディナーパーティーに招き、LSDを混入したコーヒーを飲ませた歯科医のジョン・ライリーだという。知らない間にLSDを飲まされ、幻覚症状で半ばパニック状態になった1965年の出来事を、この曲でジョンは面白おかしく歌っている。が、ノエ監督が本作『CLIMAX クライマックス』で描いた「LSD入りの打ち上げパーティー」は、文字通り地獄絵図だった(参考:https://www.rollingstone.com/music/music-news/beatles-acid-test-how-lsd-opened-the-door-to-revolver-251417/?jwsource=cl)。

 『アレックス』では、エンドクレジットの逆回しから映画をスタートさせ、物語を結末から見せていくという方式を採用することによって、「時間は二度と元に戻せないし、起きてしまったことは絶対に取り返しがつかない」ということを、残酷なまでに示したノエ監督。『CLIMAX クライマックス』でも、ラストシーンとエンドクレジットを映画の冒頭に配置し、タイトルロールも映画の途中に挟み込むなど、時系列をシャッフルさせることで観客の時間感覚を奪っていく。これは、『アレックス』で描いてみせた「時間の不可逆性」というよりはむしろ、この映画でひっきりなしに流れているダンスミュージックと同様、過去や未来を剥ぎ取り「今、この瞬間」へと観客の意識をフォーカスさせるための「周到な準備」といえるのかもしれない。

 ノエといえば、『LOVE【3D】』ではピンク・フロイドやジョン・フルシアンテ、ブライアン・イーノの楽曲を使用したり、『エンター・ザ・ボイド』ではLFOの「Freak」をオープニングシーンで象徴的に使用したりと、これまでも音楽にこだわり続けてきた監督だが、この『CLIMAX クライマックス』でも、物語のベースとなる事件が起きた1996年以前の音楽を映画の中で効果的に用いている。ゲイリー・ニューマンによる「ジムノペディ」第3章(エリック・サティ)のカヴァーでスタートし、ダンサーたちがヴォーギング(雑誌『VOGUE』のモデルのポーズに似たダンス)やワッキング / パンキング(手足を振り回す、ゲイカルチャーで生まれたダンス)、フレキシング(グライディングやボーンブレイキングを取り入れたニューヨーク発のダンス)など得意のスタイルを披露するシーンでは、セローンの「Supernature」がファンキーに繰り出される。

 また、打ち上げのシーンではM / A / R / R / S(マーズ)の「Pump Up The Volume」など懐かしい曲にテンション上がるのも束の間、パーティーが次第に狂想を帯びていくシーンでは、『アレックス』『エンター・ザ・ボイド』に続いて3度目のコラボとなるトーマ・バンガルテルの「What To Do」や、ダフト・パンクの「Rollin’ & Scratchin’」、エイフェックス・ツインの「Windowlicker」によるビートや旋律が、観客の不安を掻き立てる。そしてジョルジオ・モロダーの「Utopia-Me Giorgio」が流れる中、映画は目を覆いたくなるような結末へ。夜が明け、全ての惨状が明るみになるシーンでは、ローリング・ストーンズの「Angie」(インスト・ヴァージョン)が悲しく鳴り響くのだった。

 カメラワークも、ダンサーが踊るシーンを上空から撮影するという『エンター・ザ・ボイド』でも用いた手法を取ったり、冒頭のリハーサルシーンではまるで『ラ・ラ・ランド』(2016年)のように、入り乱れるダンサーの踊りをワンカットで収めたりと、徹底的に俯瞰的な構図で彼らの身体性を追っている。ところが、LSDが効き始めたあたりからカメラは手持ちに切り替わり、画面がグラグラ揺れたり、天井と床が逆さまになったり、平衡感覚が狂っていく様をカメラワークでも表現しているのだ。

 それにしても、最初のインタビューシーンで「故郷ベルリンでドラッグが蔓延しているのには嫌気がさした」「私はクリスチーネ・Fになんてなりたくない」などと話していた女の子が、いち早くトリップして立ったまま床に放尿するシーンには、さすがに気が遠くなった。ちなみにこの子の名前プシュケ(Psyché)は、サイケデリック(Psychedelic)の語源の一つになった「魂」「精神」という意味。クリスチーネ・Fとは、1981年に公開された西ドイツ映画『クリスチーネ・F ~麻薬と売春の日々~』のことで、ドラッグや売春に溺れていく女性を描いたこの作品には、デヴィッド・ボウイが本人役で出演していた。

 さて、ダンサーたちのインタビューがテレビのモニターに流れるシーンでは、テレビの横に映画のVHSテープや本が積まれており、その背表紙を見ると『サスペリア』(1977年)や『ポゼッション』(1981年)、『自由の代償』(1975年)、『切腹』(1962年)などが確認できる。例えば「閉ざされた空間で、人々が本性をあらわにしていく」というプロットや、妊娠しているダンサーが自らの腹にナイフを突き立てるシーン、鮮血のように赤い照明など、ひょっとしたらここに積まれている映画や本が、『CLIMAX クライマックス』のインスピレーション元になっているのかも知れない。

 果たして「ドクター・ロバート」はいったい誰だったのか。それは是非とも劇場で確認していただくとして、鬼才ギャスパー ・ノエの新作『CLIMAX クライマックス』は、観客から過去や未来という時間軸を奪い去り、平衡感覚をも失わせて「今、この瞬間」へと没入させていく、音楽やダンスと同じ構造を持った映画なのである。(黒田隆憲)

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