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ミニシアターが日本映画界に与えてきた影響を考える  “世界の多様さ”を教えてくれる存在を失わないために 

リアルサウンド

20/4/16(木) 10:00

 今、映画館が危機に瀕している。

 先々週末の興行成績は前年比90%ダウンという壊滅的な数字を記録した。先週、緊急事態宣言が発出され、首都圏の映画館の多くが休館となった。日本映画始まって以来の出来事だ。

 当然、筆者の人生においても初めての事態である。2週間近く映画館に行かなかったのはいつ以来なのか、覚えていない。

 筆者が毎週のように映画館に通うようになったのは高校時代のことだ。90年代の当時はミニシアターブームだったこともあって、筆者は毎週末欠かさずミニシアターを巡って映画を観ていた(週末どころか学校をさぼって平日も映画館に入り浸っていた)。

 そのミニシアターが今、深刻な状況に陥っている。ほとんどのミニシアターが、潤沢な内部留保を持たない中小企業によって運営されているので、あと数ヶ月持たないというところが相当あるという。

 ミニシアターは文字通り小さな映画館だが、日本映画界の中で果たしてきた役割は決して小さくない。新たな才能を発掘し、様々な国の映画を数多く国内に紹介してきた。マケドニアやギリシャ、南アフリカ、ボリビア、チリ、フィリピン、台湾、イランやトルコなど……高校生時代の筆者にとっては、ミニシアターは世界の窓だった。全体の興行収入に占める割合は決して多くないが、映画文化の多彩さを生み出す重要なポジションを担っていた。

 ミニシアターが苦境に立たされている今、改めてその大切を伝えたいと思う。

・新海誠も是枝裕和もデビューはミニシアター
 ミニシアターは、大手の映画館では興行として成立しないような作品にも広く門戸を広いてきた。無名の新人作家の作品は、当然興行的にはハンデを負う。ミニシアターはそんな新人作家にも上映機会を積極的に提供し、新しい才能を世に送り出してきた。

 例えば、『万引き家族』でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞し、名実ともに巨匠となった是枝裕和監督の長編映画デビュー作『幻の光』は、かつて渋谷に存在した「シネ・アミューズ」のオープニング上映作品だった。是枝監督は当時31歳の無名の新人、主演の江角マキコも本作が女優デビュー作でまた知名度は低かった。そんな作家の作品をオープニングで上映するのはかなりの英断ではないか。是枝監督は今でこそ新作の度にシネコンで大規模上映される監督だが、初期の頃の作品はほとんどミニシアターでの興行展開だったのだ。

 ミニシアターが育んだのは実写映画の作家だけではない。『君の名は。』で記録を塗り替える大ヒットを打ち立てた新海誠監督もミニシアターが生んだ作家と言える。

 新海監督は、ほぼ1人で製作した短編アニメ『ほしのこえ』を、座席数47席(公開当時42席)の下北沢のトリウッドを上映したのが映画監督としてのキャリアのスタートである。興行収入250億円を超える大ヒットを生んだ作家の第一歩は、下北沢の小さな映画館から始まったのだ。

 『ほしのこえ』のトリウッドでの上映には前日譚がある。『ほしのこえ』の前に、新海監督は『彼女と彼女の猫』という4分の短編作品を製作している。実はこの作品もトリウッドで他の作家の短編作品と一緒に上映されたことがある。トリウッド支配人の大槻貴宏氏はその時の興行の様子をこう語る。

「ある平日の夜、お客さんが一人しかいないことがあって、それが新海さん本人だったんですよ。そこで『本当にすごい作品だと思うけど、やっぱりこれ(客が彼一人)が現実だよね、観てもらわない限り、世の中にないのと一緒だよね』という話を2人でしました。そしたら今『ほしのこえ』っていう30分くらいのを作るということで、じゃあそれを上映しよう、ということになったんです」(引用:【中野人インタビュー】ポレポレ東中野 支配人 大槻貴宏氏|まるっと中野)

 トリウッドは本人しか観に来ない作品の作家を見捨てず、セカンドチャンスまで与えたのだ。

 新海監督はその後、初の長編映画『雲のむこう、約束の場所』を製作し、かつて渋谷に存在したミニシアターの雄、シネマライズで延べ14週間ほどのロングランヒットを記録した。未だに多くのファンが多い『秒速5センチメートル』もシネマライズで封切られた。新海監督はこの2本を地方のミニシアターでも上映し、ほとんどの劇場を訪れファンと交流している。(参考:https://www.cwfilms.jp/kumonomukou/event_index.htm)

 ミニシアター救済のための基金「ミニシアター・エイド(Mini-Theater AID)」発起人となった二人の映画監督、深田晃司と濱口竜介も今やカンヌ国際映画祭に参加する実力者だが、無名の頃2人が世に出るきっかけを生んだのもミニシアターだ。筆者は2人にインタビューしたのだが、このように語っていた。

濱口「初めて僕の映画を特集上映してくれたのは、今はなき渋谷オーディトリウム。その時、『寝ても覚めても』のプロデューサーが僕の映画を観てくれて声をかけてくれたんです」

深田「2001年に作った『椅子』という自主映画を製作しました。コンテストに応募してもどこに引っかからなかったその作品を上映してくれたのがアップリンクさんでした」(引用:【1日で6000万円達成】映画監督たちのミニシアター救済。なぜ今、クラウドファンドを始めたのか|ハフポスト)

 現在、日本映画を牽引する多くの才能を、ミニシアターが世に出る手助けをしてきたのだ。その意味で、ミニシアターは日本映画の屋台骨を支える存在と言えるだろう。

・ミニシアターは世界の窓
 筆者はアメリカのロサンゼルスで暮らしていたことがあるが、様々な国からやってきた人々と出会った。バックグラウンドの異なる人々との会話のきっかけに映画をよく利用した。台湾人とはホウ・シャオシェンやエドワード・ヤンの話をしたし、ブラジル人とは『シティ・オブ・ゴッド』の話をした。ミニシアターで様々な国の映画を観ていたことがすごく役に立った。

 ミニシアターは筆者に教科書やニュースでは学べない世界の広さと複雑さを教えてくれた。マケドニアに『ビフォア・ザ・レイン』やエミール・クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』を観て、バルカン半島の民族の複雑さを学んだ。これらの映画から歴史の複雑さと、アメリカ以外にも素晴らしい映画がたくさんあることを教わった。南アフリカ映画の『ツォツィ』ではヨハネスブルグの目も眩む格差社会と南アフリカのヒップホップのパワフルさを知った。数えればきりがないほどに色々なことをミニシアターで教わってきた。最近もベトナム映画『第三夫人と髪飾り』を観て、北ベトナムの美しい風景を知った。

 筆者に世界を教えてくれたのはミニシアターだった。今年もヨーロッパ最後の自然養蜂家の生活を描く『ハニーランド 永遠の谷』で未知の世界を知る予定だったが、コロナ禍で公開延期となってしまった。ミニシアターがもし無くなってしまったら、世界が小さく閉じてしまう、そんな危惧を抱いている。

・ミニシアターの支援方法
 深田晃司監督と濱口竜介監督の呼びかけで、ミニシアターを少しでも支援するため、クラウドファンディング『ミニシアター・エイド(Mini-Theater AID)』を立ち上げた。集めたお金は賛同しているミニシアターに均等に分配するという。

 新しい才能にチャンスを与え、世界の多様さを教えてくれるミニシアターは貴重な存在だ。決して失ってはならない、大切な文化なのだ。

 ミニシアター・エイド(Mini-Theater AID)のクラウドファンディングサイトはこちら。他にもいくつかの支援方法があるので、それぞれの方法で、できる範囲で支援してほしい。 (文=杉本穂高)

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