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amazarashi、バーチャルライブが示した一体感と社会のあり方 『朗読演奏実験空間“新言語秩序” Ver. 1.01』から考える

リアルサウンド

20/6/19(金) 12:00

 amazarashiがデビュー10周年を迎えた2020年6月9日、YouTubeにてオンライン配信『朗読演奏実験空間“新言語秩序” Ver. 1.01』の1週間限定無料配信を行った。

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 今回の配信では2018年11月に開催され、ライブクリエイティブおよび演出が、第23回文化庁メディア芸術祭エンターテイメント部門の優秀賞を受賞した『朗読演奏実験空間 新言語秩序』が本編となり、そこに秋田ひろむ(Vo/Gt)による書き下ろし楽曲「令和二年」を含む3曲の弾き語り自宅ライブ映像が加わった。

 『朗読演奏実験空間 新言語秩序』は、amazarashiの楽曲群、秋田による書き下ろし小説『新言語秩序』を軸に、照明や映像が加わり、さらにスマホアプリが連動した公演として行われたもので、特に手に持ったスマホを通して、観客がライブの演出の一部として加わることができたのはライブ表現としては革新的な部分だった。

 今回の配信ではアップデートされたアプリ『新言語秩序』を通じて、当時のライブに参加できなかったファンも配信される映像とともにコンテンツに参加できる。例えば、「リビングデッド」、「月が綺麗」、「独白」などが披露された際は、アプリの検閲解除アラートが通知され、スマホのライトが点灯。自宅にいてもライブと連動する形で、バンドが奏でる音、ステージと客席の間に設けられた半透化スクリーン上に映し出される歌詞や映像とリンクすることで、バーチャルライブでありながらもリアルタイムに参加できる“参加型ライブ”になっていたことはファンにとっては大きな意味を持つだろう。その大きな意味とはひとえに“一体感”に他ならないのではないだろうか。

 新型コロナ禍における新たなライブエンタメの可能性として注目を集めたのは、Travis Scottの『フォートナイト』ライブのような体験型のバーチャルライブであることはすでに広く知られるところだが、今回の配信では“体験”よりもamazarashiのライブ演出が描きだす世界観にファンがアプリの機能を通して、演出の一部になれるという意味での一体感があったように思える。これはもともとのライブ自体が楽曲、小説、照明、演出によって作られるベースにファンがアプリとともに加わることで完成するアートフォームであったことが大きいはずだ。

 特にコロナ禍においては、感染拡大の懸念から緊急事態宣言が解除された現在でも、ライブハウスの営業再開はまだ許可されておらず、コロナ禍前のような“ライブに参加できる日常”を、まだ我々は取り戻せていない。また、現在「日本音楽会場協会」が検討中のガイドラインでも観客は無言でいることが求められていることもあり、仮にもし、これが実現した場合は、これまでのようにアーティストの歌声にあわせて合唱することで一体感を得るという、ライブの醍醐味となる部分を実感することが難しくなる。そんな“ニューノーマル”のことを考えると、このタイミングでバーチャルライブ配信を視聴することでライブ会場との一体感を得ることができるこの演出は、2018年当時よりもさらに重要なものになったと言えるだろう。

 『朗読演奏実験空間 新言語秩序』は、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』の影響を受けた世界観が魅力だが、今回の配信にあたり届けられた秋田の「『新言語秩序』は、一般市民同士の相互監視によって言葉が奪われた社会を描いています。このテーマが時を経て、より深刻に感じられてしまう今の社会のムードが悲しいです」というコメントは、最近の世の中の出来事を振り返ると非常に胸にくるものがある。

 コロナ禍における“自粛警察”、“不謹慎狩り”に始まり、著名人の政治的発言に対するSNS検閲などは、『1984年』で描かれたディストピアな世界そのものだ。また新型コロナ感染対策として期待される顔認証、追跡システムなどは一見すると我々の生活にとっては、安全を担保するためのように思えるが、一方ではプライバシー保護の観点での問題も孕んでいる。

 『朗読演奏実験空間 新言語秩序』がテーマとする“言葉”においても、先述の“ニューノーマル”然り、“ソーシャルディスタンス”、“ロックダウン”、“オーバーシュート”など為政者たちが盛んに使う市民を混乱せしめた耳慣れない言葉は、さながら『1984年』でいうところの体制による支配を盤石にするための言語“ニュースピーク”のようだ。それだけに小説のディストピアな世界が現実に重なりつつある状況の中、配信されたライブステージで示された“検閲解除”された言葉の数々は社会や我々の生活の在るべき姿を考えるきっかけを与えてくれる。

 『1984年』には「相反し合う二つの意見を同時に持ち、それが矛盾し合うのを承知しながら双方ともに信奉すること」を指す、“二重思考”という概念が出てくる。現代では市民の様々な個人情報はスマホに集約されているが、“ニューノーマル”においては新型コロナ感染防止のためにその提供も止むなしという声もある。またSNSによる市民間の相互監視もそれが実現する。しかしながら、そういった監視社会に反旗を翻すための『朗読演奏実験空間 新言語秩序』と一体化するためにはスマホが必要になってくるのも事実だ。

 今、現在において我々はまさにその矛盾を承知しながら双方の目的のためにそれを利用している。もしかしたら今回の配信にはその事実を確認させるという意図があり、それこそが『朗読演奏実験空間“新言語秩序” Ver. 1.01』における“1.01”の部分だったのかもしれない。そして、そういったことに配信を見たファンがそれぞれ考えを巡らせる必要がある時代こそが「令和二年」なのだ。(Jun Fukunaga)

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