WANIMAが歌う、思い出を抱きしめ未来へと向かう大切さ 一人一人の“大切な瞬間”に訴えかける新曲「Milk」
20/7/6(月) 12:00
新型コロナウイルス感染拡大防止のため、過去最大級の全国ツアー『COMINATCHA!! TOUR 2019-2020』の中止を決定してから間もない3月12日に、「春を待って」を急遽配信リリースしたWANIMA。そのスピード感と、どんな時も揺るがぬ楽曲のクオリティとメッセージの信念に、彼らの凄みを改めて感じた人は多いはずだ。
あれから4カ月。WANIMAは足を止めなかった。『ミュージックステーション』をはじめとしたテレビ出演、事務所のガレージでパフォーマンスした映像の公開、Taka(ONE OK ROCK)と清水翔太による[ re: ]プロジェクトにKENTAが参加など。なかでも『ミュージックステーション』では、新曲の発表もあった。後の6月15日に配信リリースされた「Milk」だ。
まずは、ほのぼのとしたジャケットとは裏腹な、ズタタンッ!とライブのごとく響き渡るドラムからの、疾走感あふれるバンドサウンド、そしてギターの切ないメロディが鳴り響くという三段構えのイントロに意表を突かれる。そもそも、メッセージ性の強い歌詞やグッドメロディを生み出せるだけではなく、バンドならではのアレンジに長けている彼ら。そのスキルが磨かれたことが、早くもわかるイントロだ。
そして〈あたりまえで あたりまえで/なくなって気付いたんだ〉という、今、多くの人が思っている一節をシンガロング必至のスケール感で歌い出す。WANIMAワールドの入り口を、ますます誰もが飛び込めるように、大きく大きく広げてくれている。
続く〈忘れたかな/トゲだらけの道を手探りで歩いたこと/暗い中を寄り添い進み/出口なんてわからずさまよったね〉という歌詞からは、幼い頃を思い出す。私自身は、ここ数カ月、幼い頃の思い出が頭をよぎることが増えたのだが、もしかしたらそういう人は他にもいるのではないだろうか。あの頃の当たり前が、今では当たり前ではなくなってしまったから。いつでも帰れると思っていた故郷に、帰れなくなってしまったから。そんな、様々な状況が生んだ思いと「Milk」の歌詞は重なり合い、乾いた心に染み渡ってきた。また、それだけではない。ああ、あの頃も今も、〈出口なんてわからずさまよっ〉ているな、変わらないんだなと気付かされるという多面的な歌詞にもなっていると思うのだ。この時点で、KENTAの詩人としてのスキルにも脱帽させられる。
さらに、そこからは〈小さなコップについだミルクが溢れて/どこにでもあるような もうここにないもんな〉と、歌い出しと似ているようで、より臨場感と文学性がある深い歌詞が表れ、曲名とジャケットに繋がっていく。〈忘れたかな/空っぽの瓶に 今年も咲いた好きなあの花を/過ぎた日々を鮮やかにつつむ/枯れないでいつの日もあのままで〉――思い出を、ささやかに、だけど大切に抱きしめてくれるような楽曲だ。
オフィシャルサイトに掲載されているKENTAのメッセージには「大切な人たちとの大事な時間を歌った新曲です」とある。これは、ある意味これまでのWANIMAの楽曲からも感じてきたテーマである。しかし、この状況下においても止まらない彼らの進化と、聴き手である私たちの思いの深化が、この楽曲をより特別なものにしているのだと思う。あの頃を歌っているようで、とんでもなく「今」な楽曲として響いてくるのは、そういうところもあるのだろう。
また、〈空をのぼる/ミルクの匂い 白い記憶をしぼる〉〈ミルクが溢れかわいて跡になった〉という締めくくりや、軽快な曲調から「未来」をも感じるのは、私だけだろうか。今は未知の状況を進んでいる私たち。だけど、振り返ってみると、これまでも未知なことはたくさんあった。そのすべてを、大切な人と乗り越えてきた。原点にかえってみれば、そういうことなのかもしれない。だから、これからも、大切な人と大事な時間を重ねて生きていこう――勝手な想像かもしれないが、私はこの楽曲を聴いて、そんな決意が湧いてきた。
この楽曲をライブでシンガロングできる日。それがいつになるのかはわからないけど、絶対に見たこともないほど眩しい光景が広がることは断言できる。一人ひとりの思いが輝いて、歌になる。この楽曲は、そんなライブという唯一無二の場所にたどり着くまでの光だ。(高橋美穂)
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