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松田聖子と黒柳徹子の交流33年! 『徹子の部屋』で出会いから親子関係まで語る

リアルサウンド

13/9/26(木) 13:05

 昨夜、9月25日に放送された『出張!徹子の部屋パート6 夢トーク豪華4本勝負 お宝映像も大放出スペシャル』(テレビ朝日系)に、福山雅治、松田聖子らが出演した。すでにリアルサウンドに掲載した「福山雅治が『徹子の部屋』に出演 ノーパンでコンサートを行うワケを語る」という記事では、福山雅治にスポットを当てたが、今回は松田聖子のパートを追ってみたい。

 黒柳徹子は、来年でデビュー35周年を迎える松田聖子への祝いの意を込めて、1988年にオープンした松田聖子のタレントショップ「Flowless Seiko」を訪問。店舗内に特設されたセットでトークが始まった。

 話題はまず、今年で27歳になる松田聖子の娘、神田沙也加のことから。黒柳徹子が「御嬢さんっていうより、兄弟(姉妹)みたいに思われない?」と尋ねると、松田聖子は「近い感じはします」としつつ、「最近は彼女の方がしっかりしていて、私がいろいろ教えて貰ったりとか……なんでもよく知っている」と、親子関係を語った。

 かつての秘蔵映像を鑑賞するコーナーでは、松田聖子のヒット曲の数々を紹介。1980年の「青い珊瑚礁」、1981年の「風立ちぬ」、1982年の「赤いスイートピー」など、活動初期にテレビで放送された映像が流れ、松田聖子は眼を細めてそれを鑑賞した。黒柳徹子に感想を聞かれると、「とても恥ずかしいです。見てられないですね」と、照れ笑いを浮かべた。黒柳徹子が、『ザ・ベストテン』に初めて松田聖子が登場した時のことを「あなた、飛行機から降りてきたでしょ? あの時びっくりしましたよね、あんなとこで歌っちゃって」と振り返ると、松田聖子は「飛行機に乗っている間中、ずっと緊張していました。どこまでも追いかけますっていう(当時の『ザ・ベストテン』の姿勢に対し)、本当に羽田空港で歌っていいんだって、すごく思いましたね」と、当時の驚きを語った。

 80年代に一世を風靡した「聖子ちゃんカット」については、「自分で考えたというか、デビュー前に(久留米で)あの髪型をしていたっていう。(中略)別に聖子ちゃんカットを作りたくてっていうわけじゃなかった」と松田聖子。大ブームを巻き起こした髪型が、特に意図されたものではなかったことを明かした。

 秘蔵映像コーナーでは、1981年、松田聖子が18歳の頃に出演した『徹子の部屋』や、『欽ちゃんのどこまでやるの!』、1983年に放送された『スタードッキリ本人クイズ』の模様なども鑑賞。怖いもの知らずで飄々とした態度を取る自身の姿に、松田聖子は「冷や汗が止まらない」と苦笑いを浮かべたが、黒柳徹子は「見たところはすごくかわいいんだけど、しっかりした性格なんだなって思いました」と、松田聖子の度胸を称えた。

 1987年、出産直後に『徹子の部屋』登場した松田聖子は、VTRの中で黒柳徹子に女の子が産まれたことの感想を尋ねられ、「すごくうれしかったです。やっぱり!って感じ」と、語っていた。そのことについて、当時の心境を尋ねられた松田聖子は「私の中で絶対女の子だって確信があったんです」と、改めて語った。また、歌手として活動しながら育児もしていた松田聖子は、仕事中も娘に会いたかったという当時の心境を振り返り「仕事が終わって、娘が迎えてくれるとうれしかった」と、忙しかった日々を懐かしんだ。

 娘の神田沙也加が、松田聖子と同じ歌手の道を選んだことについては「(最初は)ものすごく反対しました。(中略)良いことも幸せなこともいっぱいありますけど、やはり大変なこともいっぱいあるので、自分と同じ苦労をできれば娘にはさせたくないなと思いました」と、母としての複雑な感情を吐露しつつも、「環境が環境なので、どうしてもそういう風になってしまいました。でも最終的にはやっぱり、私自身も両親に反対されて、でも、どうしてもやりたいって言ったので。(中略)そこまで言うなら、じゃあ頑張ってって」と、現在は応援していることを明かした。

 NHK連続テレビ小説『あまちゃん』の影響で80年代アイドルに注目が集まる昨今、「永遠のアイドル」とも称される松田聖子の半生は、現在のアイドルたちの行く末を考える上でも貴重なモデルケース。今後の松田聖子の動向を追うとともに、神田沙也加の躍進にも期待したい。
(文=編集部)

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