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現役日藝生が運営「朝鮮半島と私たち」で18本上映、吉永小百合も応援コメント

ナタリー

18/12/6(木) 17:10

「朝鮮半島と私たち」ビジュアル

現役の日本大学芸術学部の生徒たちが運営する映画祭「朝鮮半島と私たち」が、12月8日から14日にかけて東京・ユーロスペースで開催される。このたび吉永小百合らによる応援コメントが到着した。

日本大学芸術学部映画学科の映像表現・理論コース映画ビジネスゼミが主催するこの映画祭。1930年代から現代に至るまで、さまざまな切り口から朝鮮半島と日本の姿を捉えた18作品が上映される。

清水宏「有りがたうさん」上映時には、同監督が日本統治時代の朝鮮で撮影した短編「京城」「ともだち」を併映。同じく統治下の作品で、崔寅奎と方漢駿が貧しく暮らす学生と日本人先生の交流を描いた「授業料」もラインナップに。ここでは近年になりロシア国立フィルム保存所で発見された日本のプロパガンダ映画「銃後の朝鮮」「朝鮮の愛國日」も観ることができる。

そのほか劇映画から今村昌平「にあんちゃん」、浦山桐郎「キューポラのある街」、大島渚「絞死刑」、小栗康平「伽耶子のために」、行定勲「GO」、阪本順治「KT」、崔洋一「血と骨」、井筒和幸「パッチギ!」、ヤン・ヨンヒ「かぞくのくに」も上映。さらに日本政府に立ち向かう元慰安婦の姿を捉えた「沈黙-立ち上がる慰安婦」といったドキュメンタリーもスクリーンにかけられる。

帰還事業で引き裂かれる在日朝鮮人一家を描いた「キューポラのある街」で主演を務めた吉永は、当時を振り返りながら「真冬の川口駅前で、深夜に大勢の人々が朝鮮の歌をうたい、私達の映画を盛り上げてくれました。そして彼らは帰還船に乗り、故郷に帰って行きました。今、私達は、朝鮮半島の歴史・文化・現在の暮らしをしっかりと見つめ、語り合いましょう」と語っている。そのほか崔、映画プロデューサーの寺脇研、批評家の四方田犬彦によるコメントは下記に掲載。

「朝鮮半島と私たち」では連日ゲストによるトークショーも開催。詳細なスケジュールは公式サイトで確認してほしい。

朝鮮半島と私たち

2018年12月8日(土)~14日(金) 東京都 ユーロスペース
<上映作品>
「有りがたうさん」(併映:「京城」「ともだち」)
「授業料」(併映:「銃後の朝鮮」「朝鮮の愛國日」)
「にあんちゃん」
「キューポラのある街」
「絞死刑」
「伽耶子のために」
「戦後在日五〇年史[在日]歴史篇」
「GO」
「KT」
「血と骨」
「パッチギ!」
「かぞくのくに」
「空と風と星の詩人~尹東柱の生涯~」
「沈黙-立ち上がる慰安婦」
前売り券:3回券 2100円 / 1回券 800円
当日券:3回券 2700円 / 一般 1200円 / 学生 1000円

吉永小百合 コメント

映画学科の皆さまが、毎回しっかりしたテーマを見つけ、映画祭を開催して勉強する姿に、感心しています。「キューポラのある街」は、1962年の作品です。真冬の川口駅前で、深夜に大勢の人々が朝鮮の歌をうたい、私達の映画を盛り上げてくれました。そして彼らは帰還船に乗り、故郷に帰って行きました。今、私達は、朝鮮半島の歴史・文化・現在の暮らしをしっかりと見つめ、語り合いましょう。

崔洋一 コメント

映画とは、世相の影響下にありながら、同時にその世相をバッサリと切る、醍醐味に満ちた創造物です。したがって、世界の大きな映画祭から小さな映画祭まで、その存在を賭けて、闘いぬくのは言うまでもありません。極めて、難しい時に、極めて難しく、なおかつ、避けて通れない、現実感に満ちた企画を進める若い世代の冒険と繊細な感受性に感謝しつつ、作り手として、共に参加させてもらう機会を喜び、映画祭の成功をお祈りします。

寺脇研 コメント

まるっきり無策の日本外交をよそに、今年は朝鮮半島情勢が大きな変化を迎えている。2月の平昌五輪を皮切りに南北が歩み寄り、4月の首脳会談から6月の米朝首脳会談と進んだ。その年の終わりに、日本の朝鮮半島支配以来1世紀以上に及ぶ歴史を映画でたどる試みは極めて有意義だ。学生たちの真摯な企画を心から支持したい。

四方田犬彦 コメント

韓国人は何かにつけ、日本を意識しています。日本は意識の領域にある存在なのです。日本人は韓国人を、ふだんは意識していません。しかし心の深いところで、韓国の大きな影に動かされています。簡単にいいましょう。韓国とは、日本人の無意識のなかに横たわっている何ものかなのです。どこにでもある歴代天皇の古墳を開けて、四方の壁に飾られた神獣たちの絵画を調べてみれば、そんなことはたちどころに判明することでしょう。映画というステキな装置がなかったとしたら、誰がこの無意識を思いっきり撹乱してくれることでしょうか。

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