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『わたナギ』と『おっさんずラブ』に共通する“らしさ”からの逸脱 脚本・徳尾浩司の手腕を読む

リアルサウンド

20/7/28(火) 6:00

 『私の家政夫ナギサさん』(TBS系)は、「女性が外で働き、男性が家事をしたっていいじゃないか」というジェンダーロール問題を誰にでも親しみやすく描いている。

参考:『私の家政夫ナギサさん』を通して見える、“家族にしかできない仕事” 次週は恋の予感も?

 主人公メイ(多部未華子)は製薬会社のMR(営業担当)として働いていてとても有能。その代わり、プライベートは捨てている。恋人はいないし、部屋は散らかりっぱなし。料理もまったくやらない。そこまで仕事にのめりこんでいる理由は、母・美登里(草刈民代)に「男の子に負けない仕事ができる女性になる」という“呪い”をかけられていたから。

 ジェンダー問題の観点からいえば、母親が「女の子はお嫁さんになるもの」という呪いをかけていないのだから良さそうなものなのだが、メイは残念ながら「お母さん」になりたかったのだ。それが母の言いつけに縛られたため人生設計がズレてしまったといえる。しかも母親は28歳になった娘に嫁に行くべきと、いまになって言い出して、メイを悩ませる。

 母親が深く考えずに子供に言葉を発してしまうことが一番の問題であるがそれはさておき、メイはどうしたらいいのか……?というところで現れたのが、家政夫ナギサさん(大森南朋)。メイの健康状態を心配した妹・唯(趣里)が敏腕家政夫ナギサさんを紹介したことで、メイの生活は一変する。

 ナギサさんのおかげで部屋は片付き食生活も改善したものの、メイには気にかかることが。それはナギサが「男性」しかも「おじさん」であることだった。ナギサは「おかあさん」になりたくて自分が「おじさん」であることを気にしているのだが……。

 ドラマは2話、3話と進み、ジェンダーロール問題よりもメイの恋愛及び結婚問題に突入した感があり、メイの前に、ライバル製薬会社の営業・田所(瀬戸康史)とメイと田所が営業をかけている病院の医者・肥後先生(宮尾俊太郎)とふたりのイケメンが現れる。メイはお嫁さんになって子供の頃の夢である「お母さん」になることを実現させるのか。がんばってきた仕事はどうなるのか……。

 とても軽快な運びで、気楽に観ることができるドラマ。脚本家が『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)の徳尾浩司であると知ると、この口当たりの良さはナットクする。目下、深夜に再放送中の『おっさんずラブ』は徳尾のオリジナル脚本で、ぐーたら生きていきた主人公・春田(田中圭)が突如、上司・黒澤(吉田鋼太郎)と同僚・牧(林遣都)から好かれ、ふたりの間で揺れ動く。恋愛ドラマは男女の恋を描くものという世間一般の認識を覆し、社会現象を巻き起こし、映画化もされ、ドラマの続編まで生まれたヒット作である。

 性差に関係なく、愛する人を想うその真剣さがドラマの魅力になっていた『おっさんずラブ』は、タイトルになっている「おっさん」に対する認識も覆した。『おっさんずラブ』は若者であろうとおっさんであろうと関係ない。性差も年齢差も越えた純粋な愛のドラマだった。そう見えたのは、田中、吉田、林たち俳優たちの力も大きかったのだが、徳尾が書いたベースの脚本が極めてフラットだったことも助けになっていたと思う。

 部屋は散らかり放題で自炊のできない主人公が、家事のできる人に出会って生活が一変するところは『おっさんずラブ』も『わたナギ』も同じ。主人公の私生活を快適にする牧もナギサさんも、じつにさりげなく当たり前のように料理する。ナギサさんにいたっては女性の下着も躊躇なくたたむ。

 徳尾は男が家事する描写になんのバイアスもかけない。いわゆる「男らしさ」「女らしさ」という属性をいっさい登場人物に付けず、料理上手な人、だらしなく甘えん坊な人、仕事ができる人などの特性のみで描き、さらに、「男らしさ」「女らしさ」を利用して目標を達成することもなく、登場人物たちはひたすら懸命に目標に向かって邁進している。これが『おっさんずラブ』の特性だった。

 『わたナギ』が『おっさんずラブ』に近いのは、主人公の会社の人たちの平和的な雰囲気にもある。どちらも、パワハラやモラハラがまったくない。上司も部下もお互いを気にかけて、アットホーム。『おっさんずラブ』では主人公の後輩・栗林歌麻呂(金子大地)や、口うるさい舞香(伊藤修子)、『わたナギ』では後輩・瀬川(眞栄田郷敦)や同僚の薫(高橋メアリージュン)にも見せ場が作られ、チームワークで見せていくところも楽しく見られる要因だと思う。彼らには、恋愛はあっても、愛憎渦巻きドロドロになるということはない。例えるなら、ムーミン谷の人々みたいな無垢さがある(ムーミン谷の人々にも性別はあるのだが)。人間の清いところだけ残った感じなのである。

 ただ、『わたナギ』の場合は、人々がそこまで除菌消臭する以前のドラマで、メイもナギサさんも「おじさん」というものの先入観に縛られているし、薫は結婚するために料理の腕を磨き、マッチングアプリに盛った自分で登録している。メイは仕事でも勝ち負けにこだわっていて、ものごとを既存のルールに沿って線引しやすいタイプである。それがやがてメイやナギサさんが、あらゆる偏見から解き放たれることになるのだろうか。世の中の「おじさん」や「お母さん」という存在に対する固定観念が変わり、ユートピア的世界へと向かうのか。徳尾の脚本に期待している。(木俣冬)

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